世が終わる前、人の姿で来られる2つの理由

2023-11-22
世が終わる前、人の姿で来られる2つの理由

世が終わる直前に、神様が人の姿で来られる理由は、大きく分けて2つあります。1つは、神様の民を救うため。もう1つは、神様を信じない者たちが、審判台の前に立ったとき「知らなかった」と弁解できないようにするためです。

1. 神様は失われた真理を回復するため、人の姿で来られる

2000年前、人の姿で来られた神様──イエス様は、天国に行くための真理を示され、そのすべてを守るよう命じられました。

マタイによる福音書 28章18〜20節 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

イエス様が教えられた、新しい契約の安息日、新しい契約の過越祭などが、天国に行くために必要な真理です。しかし、この大切な真理がなくなってしまいました。今日、神様を信じる多くの人は、太陽神教の聖日である日曜日に礼拝をし、太陽神の誕生日であるクリスマスを祝っています。

それゆえ、イエス様は、世の終わりには、救われる信仰を持つ者を見出すことができないとおっしゃいました。

ルカによる福音書 18章8節 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

神様への信仰を持たない世が裁かれたら、誰一人救われません。それで、イエス様は、最後の審判の前にもう一度、人の姿で来られます。

ヘブライ人への手紙 9章28節 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

2. 人の姿で真理を伝えられたことで、誰も弁解できない

イエス様が再び来られるもう1つの理由は、神様を信じない者たちが、審判台の前に立ったとき「知らなかった」と弁解できないようにするためです。

ヨハネによる福音書 15章22節 わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。

2000年前、イエス様は、人々に直々に真理を教えられました。しかし、彼らは、人の姿で来られた神様を信じず、真理も受け入れず排斥したため、裁かれる者となりました。

ルカによる福音書 21章20〜24節 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

AD70年、イエス様が預言なさったとおり、エルサレムは滅亡しました。神様が人の姿で来られて示された真理を信じ、守った者は救われ、信じず排斥した者は、裁きの対象となりました。

3. 最後の審判の前に人の姿で来られて、真理を示される

二度目に来られるイエス様は、失われた真理を回復なさり、わたしたちに示してくださいます。

ミカ書 4章1〜2節 終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい 多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。

「終わりの日に主がわたしたちに道を示される」とは、世が終わる直前に、神様が人の姿で来られて、人々に真理を示されるということです。そして、最後の審判のとき、真理を信じ守った者は救われ、信じず排斥した者は、裁きの対象となります。

ヨハネの黙示録 20章12節 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。

人は誰しも、最後は審判台の前に立つことになり、それまでの行いに応じて、救いと裁きのどちらかに分けられます。ですから、世が終わる直前に、人の姿で来られる神様、再臨イエス様を受け入れ、示される真理を信じ従われることを願います。