再臨イエス様は人の姿で

2022-07-12
再臨イエス様は人の姿で

もし創造主の神様が、わたしたちと同じ人の姿でこの地に来られたら、あなたは受け入れることができますか?聖書を調べてみると、イエス様が再臨なさるとき、2000年前と同じように人の姿でいらっしゃることを悟ることができます。

 

再臨イエス様は雲に乗って来られる

 

ルカによる福音書 21:27~28 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

 

イエス様は、御自分がもう一度この地に来られるとき、「雲に乗って来る」と教えてくださいました。では、この「雲」は、実際に空に浮かんでる雲のことを指しているのでしょうか?それとも譬えでしょうか。それを知るために、まず初臨イエス様についての預言を調べてみる必要があります。

 

なぜなら、初臨イエス様もまた「雲に乗って」来られたからです。

 

雲に乗って来られた初臨イエス様

 

初臨イエス様がいらっしゃる約600年前の預言です。

 

ダニエル書 7:13~14 夜の幻をなお見ていると、

見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り

「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み

権威、威光、王権を受けた。

諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え

彼の支配はとこしえに続き

その統治は滅びることがない。

 

「人の子」が「雲に乗って」来て、「権威、威光、王権を受ける」とあります。この預言を成就なさった方が、まさに初臨イエス様でした。権威、威光、王権を受けた方がどなただったか調べ、その事実を確認してみましょう。

 

まず、権威を受けたのはどなただったしょうか。

 

マタイによる福音書 28:18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

 

マタイによる福音書 28:18(口語訳) イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。

 

このように、ダニエル書の預言の権威をお受けになったのは初臨イエス様でした。次に、威光について確認してみます。

 

ヨハネによる福音書 17:10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。

 

これは、イエス様の祈っておられる内容です。そして、威光(栄光)を受けた方も初臨イエス様であることがわかります。では、王権はどうでしょうか。

 

ルカによる福音書 22:29 だから、わたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。

 

ルカによる福音書 22:29(口語訳) それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、

 

国の支配権(王権)を受けた方も、初臨イエス様でした。

 

このように、ダニエル書の預言を成就なさり、「権威、威光、王権」をお受けになった方は、初臨イエス様でした。ところで、この「権威、威光、王権」を受けるその方は、「雲に乗って」来られるとも預言されています。

 

初臨イエス様は実際の雲に乗っていらっしゃいましたか?いいえ、マリアの体を通して、この地に肉体を持って来られました。つまり、「雲」は「肉体」を指す言葉だったのです。

 

人の姿で来られる再臨イエス様

 

ダニエル書7章の預言を成就していらっしゃった初臨イエス様が、実際の空の雲ではなく、肉体で来られたように、ルカによる福音書21章の再臨の預言もまた、肉体を持って人の姿で来られるという御言葉です。イエス様は、再臨なさるときの様子を「初臨の時と同じように来る」と教えてくださるために、弟子たちにわかりやすく「雲に乗って」と同じ表現を使われたのです。

 

実は、「肉体」を「雲」に譬えるのは、聖書的な表現方法の1つなのです。

 

ユダの手紙 1:12 こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、

 

これは、偽預言者に対する御言葉ですが、「こういう者たち(偽預言者)」を「雨を降らさぬ雲」と表現しています。

 

箴言 25:14 雨雲が垂れこめ風が吹くのに雨が降らない。

与えもしない贈り物について吹聴する人。

 

箴言 25:14(口語訳) 贈り物をすると偽って誇る人は、

雨のない雲と風のようだ。

 

この句節でも、「贈り物をすると偽って誇る人」を「雨のない雲」と表現しています。どちらも正しくない人に対する内容ではありますが、どちらにせよ、「肉体」をまとった人間を「雲」と表現したわけです。

 

このように、初臨の内容を調べてみても、聖書の表現方法を調べてみても、再臨イエス様が乗って来られる「雲」が「肉体」を表していることは明らかです。

 

人の姿で来られたイエス様を受け入れなかったユダヤ人

 

2000年前、ユダヤ人たちは、自分たちが切に待ち望んでいたキリストを受け入れることができず、排斥し、ついには十字架につけてしまいました。なぜそのような過ちを犯してしまったのでしょうか。

 

ヨハネによる福音書 10:33 ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」

 

ユダヤ人たちがイエス様を拒絶しながら放った言葉です。「どうして人間を神様だと信じることができるのか」と言うのです。彼らがイエス様を信じることができなかった大きな理由の1つは、イエス様が人の姿で来られたからでした。わたしたちは彼らと同じ過ちを犯してはいけません。わたしたちのために、二度目にこの地に人の姿で来られる再臨イエス様を必ず受け入れなければなりません。

 

再臨はわたしたちの救いのために

 

ではなぜ、イエス様は人の姿でもう一度この地にいらっしゃるのでしょうか。

 

ヨハネによる福音書 10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

 

羊は神様を信じる聖徒たちを表しており、その聖徒たちを羊飼いであられるイエス様が導いてくださるという御言葉です。ところで、「囲いに入っている羊」と「まだ入っていない羊」がいるのがわかります。「囲いに入ってる羊」は初臨のときに導かれた聖徒たちを指しています。しかし、「まだ入っていない羊」がいるというのは、まだ救われるべき聖徒たちが残ってるという御言葉です。そして、その救われるべき聖徒たちを、イエス様が御自ら、この地にもう一度来られて、救いの囲いの中に導いてくださるのです。

 

2000年前、イエス様はこの地に来られて、聖徒たちに「過越祭」「安息日」等の真理を教えてくださり、救いの囲いの中に導いてくださいました。しかし、その救いの真理がすべてなくなってしまったので、初臨のときと同じように人の姿で再臨なさって、もう一度正しい真理に導いてくださるのです。

 

聖書の預言通り、人の姿で来られて、わたしたちを救いの真理の中に導いてくださる再臨イエス様を受け入れましょう。そして、必ず初代教会の聖徒たちと同じ真理の囲いの中に入って、救いを受けましょう。

 

・2000年前イエス様と使徒たちが守った、過越祭

・初代教会の真理、ベールの掟

・イエス様の新しい名