「主日礼拝」の本当の意味

2024-04-16
主日礼拝-の本当の意味

教会の前を通ると、掲示板に「主日礼拝」と書かれた貼り紙を見かけます。キリストの復活に重きを置く一般的なキリスト教会では、復活の日である日曜日を「主日」と呼び、礼拝を行っています。では、聖書でいう主の日とは、本当に週の初めの日、つまり日曜日のことなのでしょうか?

日曜日を指して主の日と言われた記録は聖書にない

ヨハネの黙示録 1章10節 ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、・・・

大多数のキリスト教会では、この「主の日」を、イエス様が復活された日曜日であると考えており、初代教会当時から日曜日に礼拝をささげてきた根拠として挙げています。しかし、この聖句には、単に「主の日」と記されているだけで、その日が日曜日であるという記録はどこにもありません。ですから、黙示録1章10節に「主の日」とあるからといって日曜日礼拝を裏付けるための根拠にはならないのです。

聖書でいう「主の日」は安息日

では、黙示録1章10節の「主の日」とは、一体いつを指すのでしょうか?ここでの主は、イエス様です。新約時代、使徒たちはイエス様を主としてお迎えし、従いました(一ペトロ2:3-8)。つまり、主の日とは、イエス様の日ということです。では、イエス様の日はどんな日のことでしょうか?まさに安息日です。

マタイによる福音書 12章8節 人の子(イエス様)は安息日の主なのである。

イエス様は、安息日の主人だと言われました。ですから、イエス様の日とは、まさに安息日です。決して、週の初めの日である日曜日ではありません。

では、旧約時代には、主の日はいつだったのでしょうか?旧約時代も同じく主の日は安息日でした。

出エジプト記 31章12-13節 主はモーセに言われた。あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々ににわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。

主エホバも、やはり安息日を御自分の日だと言われました。聖書では一貫して、旧約聖書でも新約聖書でも主の日は安息日だと記録されています。

これは至極当然なことです。なぜなら、安息日とは創造主の権能を記念する日であり、天地万物を創造なさった神様を褒めたたえる日だからです。聖子神様であられるイエス様は、聖三位一体で考えてみれば、根本は父なるエホバ神様です(イザヤ書9:5)。旧約時代エホバ神様として働かれた創造主が、人として来られた時に使われた名前が『イエス』です。ですから、イエス様は創造主なるエホバ神様であられるため、イエス様の日は、当然、創造主の記念日安息日なのです。

従って、黙示録1章10節の主の日は、安息日を示した言葉であり、日曜日を示したものではありません。

世の終わりまで守るべき礼拝日は安息日

聖書では、日曜日礼拝に関する記録は一つも見つけることができず、イエス様も使徒たちも安息日を守ったという記録があるのみです。しかし、今日、多くの教会が安息日礼拝を守らずに、日曜日を主日礼拝と言いながら聖書にない礼拝を行っています。それでは、神様の御心はどこにあるのでしょうか?

マタイによる福音書 24章20-21節 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。

なぜ、イエス様は、最後の大艱難が安息日にならないように祈りなさいと言われたのでしょうか?終わりの日まで、安息日を守らなければならないからです。これが、神様の御心です。

申命記 28章1-6章 ・・・あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。・・・

神様の安息日を守る者は、どこにいても限りない祝福を受けると神様が約束してくださいました。これ以上の祝福があるでしょうか?ぜひ、本当の主日礼拝である安息日礼拝をささげ、共に祝福にあずかられることを願います。