クリスマスはキリスト教の祭りではない

2023-02-08
クリスマスはキリスト教の祭りではない

毎年12月になると、世界中がクリスマスの雰囲気に包まれます。イルミネーションに、クリスマスソング、子どもたちのためにプレゼントの準備をする大人たち。イエス・キリストの降誕日として知られているクリスマスですが、実は、キリスト教とは何の関わりもない、太陽神崇拝に由来している祭りです。

 

キリスト教として

キリスト教とは、聖書のエホバ神様を信じ、また、その神様が、我々人類の救いのためにお遣わしになったイエス様をキリストつまり、救い主として信じる宗教です。そして、キリスト教徒なら誰でも、十戒を重要視しています。十戒とは、モーセの時代に聖書の神様が定めてくださった10の戒めです。神様を信じている神様の民であれば、最低限この十戒は守らなければならないというのが、キリスト教徒の一般認識と言えるでしょう。ところで、この十戒の第一の掟をご存じですか?

出エジプト記 20:2~3 わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

これが、十戒の第一の戒めです。キリスト教は、インドのヒンドゥー教や日本古来の八百万の神を信じるような多神教ではありません。聖書の神様を信じているのであれば、ただ唯一聖書の神様お一人だけを信じなくてはならないのです。(イエス様は、旧約のエホバ神様が肉体を纏っていらっしゃった方→聖三位一体)

しかし、実際は、ほとんどのクリスチャンが、この第一の掟を守ることができていません。彼らは、クリスマスを守っているからです。

 

クリスマスは太陽神の祭り

多くの人々は、12月25日をイエス・キリストの生誕日だと思っていることでしょう。しかし、クリスマスは、イエス様の生誕日でないばかりか、キリスト教とは何の関わりもない太陽崇拝に由来しています。

『広辞苑 岩波書店

クリスマス(Christmas)

キリストの降誕祭。十二月二十五日に行う。

もと太陽の新生を祝う[冬至の祭り]から変わったとされる。生誕祭。降誕祭。ノエル。』

このように、クリスマスはもともと「太陽の新生を祝う冬至の祭り」から変わったものです。

キリスト教2000年史 いのちのことば社

キリスト教と異教の習慣

キリスト教会は、多くの異教思想や象徴を引き継いだ。例えば太陽礼拝からは、太陽の誕生日である12月25日がキリストの降誕祝日として引き継がれた。

12月25日は、イエス様の生誕日ではなく、太陽の誕生日です。12月25日は、北半球で1年のうち最も昼の時間が短い冬至の日です。その日以降、太陽が徐々に成長していくと考えたため、12月25日を太陽の誕生日としたのです。このような太陽崇拝の習わしが、教会内に入り込み、生じたものがクリスマスです。

キリスト教を知る事典 東京堂出版

降誕祭(クリスマス)

・・・キリスト教がローマ帝国によって公認された頃に、ローマ帝国において広く信奉され、何度か国教とさえされかけたミトラス教が栄えていた。この宗教は、太陽を神の象徴として崇拝し、冬至を「太陽の誕生の日」としていて、その日が多くの人々に盛大に祝われていた。ペルシアから由来するこの古い宗教は、キリスト教の最大のライバルであった。それで、教会は、この日をイエス・キリストの誕生日として、この祭りを横取りしたのである。

つまり、キリスト教より先にローマに根付いていた、太陽神崇拝の日である12月25日が、後にイエス・キリストの生誕日として姿を変えたのです。クリスマスが、太陽神の誕生日に由来しているということは、誰も否定できない明らかな事実です。今では、この事実を知っている人も増えてきました。クリスマスを守っている教会の神父や牧師までもが、「クリスマスはイエス様の生誕日ではない」と公言する時代になってきています。

それにも関わらず、太陽崇拝に由来するクリスマスを祝い続けてよいのでしょうか。聖書の神様を信じる者であるならば、「わたしをおいて、他に神があってはならない」という第一の掟を守らなければなりません。太陽を崇拝する人たちが、太陽の誕生を祝うのに何か問題があるでしょうでしょうか。しかし、聖書の神様を信じ、仕える者たちがそうではいけないという話です。

 

甚だしく忌まわしい行い

「たとえ由来が太陽崇拝だったとしても、イエス様にささげる心で守るのだから、神様はご理解してくださるだろう。」そのように思う人もいるようです。しかし、「神様、信じています」「イエス様、私を救ってください」と祈りながらも、太陽崇拝をする者を、神様はどのように思われるのか、聖書で確認してみましょう。

エゼキエル書 8:15~16 そこで彼はわたしに言った。「人の子よ、見たか。あなたは、これより更に甚だしく忌まわしいことを見る」と。

彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。すると、主の聖所の入り口で、廊と祭壇の間に、二十五人ほどの人がいて、主の聖所を背にし、顔を東に向けていた。彼らは東に向かって太陽を拝んでいるではないか。

「主の聖所の入り口、廊と祭壇の間」とは、神様に礼拝をささげる場所です。そこで、神様ではなく、太陽を拝んでいる者たちがいます。このことについて、神様は「甚だしく忌まわしい」と表現なさいました。現在、多くのクリスチャンが、イエス様の生誕日だと言いながら、太陽崇拝の祭りに由来する12月25日を祝っていることと何の違いがあるでしょうか。

聖書の神様を信じているのであれば、クリスマスを守るべきではありません。クリスマスは、聖書のどこにも記されていません。神様に救っていただき、天国に行きたいと願うのであれば、聖書に記録されている神様の祭りを守るべきです。クリスマスでなく、救いの約束が込められた祭りを守って、共に天国に帰りましょう。

 

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