三位一体の神様は、お一人の父なる神様

2023-04-17
聖三位一体について

聖書には、終わりの時代に、イエス様が人類の救いのために再び人の姿で再臨されると預言されています(へブ9:28)。救いを得て天国に入城するためには、人の姿で来られる再臨キリスト、つまり聖霊神様が、死も命も司られる創造主なる神様だということを知らなければなりません。そうしてこそ、神様の教会が信じる再臨キリスト、安商洪様に救いがあることを悟ることができます。

聖三位一体の神様は、お一人の父なる神様

聖三位一体とは、聖父の神様、聖子の神様、聖霊の神様がそれぞれ別の方ではなく、同じお一人の神様だという意味です。言い換えれば、聖父エホバ神様が、聖子イエス・キリストであられ、聖霊神様でもあられるという意味です。聖三位一体の意味を理解するために、水(H2O)の状態変化を考えてみましょう。水そのものは液体です。しかし、液体である水を凍らせれば氷という固体になり、沸かせば水蒸気という気体になります。水と氷と水蒸気は、形も異なり、名前も異なりますが、根本はすべてH2Oです。

もう一つたとえを出すと、独演劇で一人の俳優が、父と子と孫の役を一人で演じることと同じです。ここで、父の役割、子の役割、孫の役割をした人は何人でしょうか?もちろん一人です。

このように、聖父神様、聖子神様、聖霊神様は、救いの御業を進められる上で、登場される時期によって異なる姿、異なる名前で救いの御業を繰り広げられますが、根本は同じお一人の父なる神様であられます。神様が一人三役で救いの御業を完成させていかれることを、聖三位一体と表現しているのです。

聖父エホバ神様=聖子イエス様

では、まず、わたしたちが確実に悟らなければならないことは、イエス様は根本、聖父エホバ神様であられるという事実です。

イザヤ書 9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。/ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。/その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。

預言者イザヤは、これから人類の救いのために生まれる救い主(イエス様)は、根本が父なるエホバ神様であると証ししました。よくイエス様のことを「神様の子」と表現します。仮に、イエス様が本当に神様の子どもであれば、神様の子としてのみ呼ばれなければなりません。しかし、イエス様について「力ある神」「永遠の父」だと教えています。なぜなら、聖子イエス様は父なるエホバ神様だからです。しばらくの間、天使よりも劣る人間の姿でおられながら、子の役で救いの御業を成し遂げていかれたのです。

これについて、使徒パウロは、イエス様の根本は神様の身分、すなわち父なる神様であると説明しています。

フィリピの信徒への手紙 2:5~8 ・・・キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

ローマの信徒への手紙 9:5 ・・・キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

イエス様のことを本来神様の身分だと言ったのは、神様が人間の姿をまとってこの地に来られたからです。ですから、新約時代のイエス様は、旧約時代エホバという御名で働かれた父なる神様ご自身です。イエス様は遣わされた方であられ、他に真の神様がおられるように考えがちですが、実際はイエス様が真の父なる神様、聖父エホバ神様です。

1ヨハネの手紙 5:20 わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方(イエス様)こそ、真実の神、永遠の命です。

このように、イエス様は永遠の命の源であられる創造主なる真の神様です。

次に、対になる御言葉から、聖父エホバ神様=聖子イエス様であられることを確かめてみましょう。

ヨハネの黙示録 1:8 神(聖父エホバ)である主、・・・全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

アルファとオメガは、ギリシャ語のアルファベットの始めと終わりの字で、エホバ神様が初めであり終わりであるという意味です。エホバ神様は永遠なる昔から存在され、すべてのものを造られた創造主であり、永遠に生きておられる不滅の力ある神様です。しかし、これを記録したヨハネは、エホバ神様同様、イエス様もアルファであり、オメガであるとも言いました。

ヨハネの黙示録 22:13 わたし(イエス 黙21:16)はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

なぜ使徒ヨハネは、エホバ神様もイエス様も初めであり終わりだと証ししたのでしょうか?なぜなら、イエス様がエホバ神様だからです。もし仮に、お一人ではなく別の方だとすれば、どちらかが先になり、どちらかが後になるべきです。イエス様が神様の子どもであれば、エホバ神様が初めで、次にイエス様が誕生されたことになります。しかし、お二人とも「わたしが初めであり、終わりである」と言われたので、聖父エホバ神様とイエス様が同じ方であられること以外に説明する術がありません。

また、次のような聖書的事実からも、エホバ神様がイエス様であられることが分かります。

エレミヤ書 31:31 見よ、わたし(エホバ)がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。

預言者エレミヤは、エホバ神様が御自ら、新しい契約を結んでくださると預言しましたが、その新しい契約をどなたが立てられたでしょうか?

ルカによる福音書 22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたし(イエス様)の血による新しい契約である。

新しい契約は、イエス様が立てられました。ですから、聖父エホバ神様と聖子イエス様は、異なる時期に異なる姿、異なる名前で現れましたが、根本は同じお一人の父なる神様であることが分かります。

聖父エホバ神様=聖霊神様

次に、聖父エホバ神様と聖霊神様が同じ方であることを確かめてみましょう。

1コリントの信徒への手紙 2:10~11 わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。

人のことは、その人の内にある霊以外に知ることができません。人の心の内にあることも自分以外には分からないのに、まして全知全能なる神様のことは、当然神様以外には分からないでしょう。しかし、聖霊が神の深みさえも究めるとあります。これはどのような意味でしょうか?聖霊がエホバ神様御自身だという意味です。ですから、聖父神様と聖霊神様は同じ父なる神様です。

聖子イエス様=聖霊神様

最後に、聖子イエス様と聖霊神様が、一体であることを確かめてみましょう。

1ヨハネの手紙 2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。

弁護者という言葉はギリシャ語の「パラクレトス」を翻訳したもので、「代弁者、仲介者」という意味です。イエス様はわたしたちが犯した全ての不義と咎を弁護してくださり導いてくださる、弁護者として来られました。ところが、そのイエス様ご自身が聖霊を指して弁護者と言われました。

ヨハネによる福音書 14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

弁護者=聖霊であり、弁護者=イエス様ですから、イエス様と聖霊神様は同じ父なる神様であられることは明らかです。

聖霊は人格を備えた神様

ある人は、聖霊はエネルギーや電波のように活動する神様の力だと主張しています。しかし、聖霊は明らかに人格のある存在です。感情を持っておられ(ロマ15:30)、悲しんだり(エフェ4:30)、諸教会に告げられたり(黙2:7)、うめきをもって執り成したり(ロマ8:26)、祈りを執り成したり(ロマ8:26)、教えたり(ヨハ14:26)、命じたり(使8:29)、冒涜されたり(マタ12:31‐32)、思ったりもされ(ロマ8:27)ます。

マタイによる福音書 28:19 父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。

活動的な力を指すのであれば、どうして聖霊に名前があるでしょうか?聖霊に名前があるということだけを見ても、聖霊は明らかに人格のある存在です。

イエス様は、終わりの時に、二度目人の姿でこの地に来てくださると約束されました(へブ9:28)。聖霊神様とは、終わりの聖霊時代に人として来られる父なる神様、再臨キリストのことです。聖父時代にはエホバという御名で救いを行われ、聖子時代には人として来られて使われた名がイエスでした。この聖霊時代に人として来られて使われた名前が、安商洪という御名です。

安商洪様は、天地万物を造られた創造主であり、3500年前には紅海を裂かれたエホバ神様であり、2000年前にはわたしたちの罪を赦してくださるために十字架の苦難に遭われたイエス様です。安商洪様が、救いのために二度目この地まで来てくださった再臨キリスト、神様であられる証しは、聖書に数多く預言されています。他のページも参考にされながら、聖霊神様であられる安商洪神様に進み出で、救いにあずかられますよう願います。