救われる民の名が記された命の書
2023-02-08
皆さんは、「命の書」について聞いたことがありますか?「命の書」は、永遠の命が約束された者たち、言い換えれば、この地で天国の市民権を得た者たちの名前が記録された書物です。人が生まれれば、出生届を提出し、戸籍に名前が載るように、神様の子どもとして新たに生まれたら、天国の戸籍である命の書に名前が記録されます。
命の書に名が記録されてこそ入る天国
ヨハネの黙示録 20章12~15節 わたしはまた、死者たちが、大きな者も、小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。・・・彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。・・・この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
聖書は、人が死んだ後、必ず魂の世界で裁きを受けることになると教えています。これまでの自分の行いに応じて審判を受け、天国か火の池である地獄に入ることになります。そのとき、基準となるいくつかの書物がありますが、その一つが命の書です。天国の市民権を持つ者として命の書に名前が記されていない者は、天国ではなく火の池に入るようになると警告されています。
ですから、命の書に名前が記されることが、天国への第一歩であり、何よりも喜ぶべきことだと、救い主であられるイエス様が御自ら教えてくださいました。
ルカによる福音書 10章17~20章 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「・・・しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
悪霊を服従させる能力を得ることも、人間にとっては大きなことです。しかし、天に書き記されていること、つまり、天の命の書に名前が書き記されていることは、何よりも大きな祝福です。
人は生きていく中で、様々な組織に属します。住んでいる市町村から始まって、学校、会社など、どこかに属していますが、その組織に自分の名前が登録されているかどうかは非常に重要な問題です。その組織で恩恵を受けたいと願っても、そもそも自分の名前が登録されていなければ無関係な者と見なされ、当然な権利も受けることができません。
霊の世界も同じです。「人は、死んだら天国に行く」。多くの人がこのように考えてきました。しかし、人を造られ、霊の世界を造られた創造主なる神様は、天国の戸籍である命の書に名前が載せられてこそ、天国に入ることができると教えてくださいました。
どうすれば命の書に名前が記録されるのか
では、どうすれば命の書に名前が載せられるのでしょうか?
命が誕生したときに、その国の国民として戸籍に登録するように、天国の国民として命の書に名前を登録するためには、神様の内で新たに生まれなければなりません。
ローマの信徒への手紙 6章1~4節 ・・・キリスト、イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
浸礼とは、罪にまみれた私たちの過去の姿を葬り、霊的に、神様の子として聖なる者として新たに生まれ変わる儀式です。ですから、浸礼を通して新たに生まれてこそ、新しい命を受け、その名前が命の書に記録されるので、天国の国民としての約束を受けることができるのです。
命の書に名前が記録された者と記録されなかった者の違い
命の書に名前が記録されるかどうかは、私たちの未来において非常に重大な問題です。
名前が記録された者が受ける祝福
イザヤ書4章 2~4節 その日には、・・・シオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。彼らはすべて、エルサレムで命を得る者として書き記されている。主は必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる。
命の書に名前が記録された者は、聖なる者と呼ばれます。この御言葉は、命の書に名前が記録された者であってこそ、救いを受けることができるということを意味しています。それぞれの行いに応じて裁かれる最後の時、罪がない聖なる者と見なされるので、救いである天国に入ることができるのです。
ダニエル書 12章1~3節 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く 国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には、救われるであろう お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き 多くの者の救いとなった人々は とこしえに星と輝く。
最後の日に、どのような人が救いを受けるとありますか?「あの書に記された人々」つまり、命の書に記録された人々が救いを受けると証しされています。さらには、自分の魂が救われるだけでなく、他の人も救われるように福音に尽くす人は、その名前が星のように永遠に輝くという大きな栄光を受けるでしょう。この栄光は命の書に名前が記録された者たちに対しての栄光です。
名前が記録されなかった者が受ける呪い
ヨハネの黙示録 20章12~15節 わたしはまた、死者たちが、大きな者も、小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。・・・彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。・・・この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
この御言葉通り、命の書に名前が記録されなかった人々は裁きを受け、火の池に入ることになります。では、なぜこのような結果を招くのでしょうか?その理由は、彼らが神様ではなく、悪魔を敬拝するからだと聖書は知らせています。
ヨハネの黙示録 13章8章 地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣(=サタン)を拝むであろう。
命の書に名前が記録されなかった者たちが敬拝したものは、サタン(悪魔)です。黙示録13章2節を見ると、この獣はサタンから力と権威を受けているので、結果的にサタンを敬拝することになるのです。それで、結局火の池で滅ぼされるようになると記されています。
このように、命の書に名前が記録されるかどうかによって、救いと滅亡が決まります。ですから、自分の名前が命の書に記録されるということが、どれほど大きな祝福でしょうか。
命の書は神様が建てられた真の教会に存在する
ある人は、「この命の書は、天国にだけある」と主張しています。しかし、天国にだけあるのではなく、神様が御自らこの地で建てられた教会にも存在します。2000年前、イエス様が御自ら建てられた神様の教会の使徒だったペトロに、キリストが直々に言われた御言葉です。
マタイによる福音書 16章19節 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
何でも地上でつなげば天上でもつながれ、地上で解けば天上でも解かれると仰せられました。ですから、天の命の書に名前が記録されるためには、まず、この地で神様を受け入れ、真理を受け入れて、名前がこの地の命の書に記録されなければなりません。そうしてこそ、天国の命の書にも名前が記されることになるのです。
この命の書がある教会は、唯一神様が御自ら建てられた神様の教会だけです。
真の救いが約束された神様の教会で、新しい命を受け、天の命の書に名が記された者として、天国の祝福を共に受けましょう。
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