旅路の人生と天の故郷

2023-11-22
旅路の人生と天の故郷

人生には、艱難辛苦がつきものです。生きていく中で、何か辛いこと、苦しいことがあったとき、多くの人が自分の故郷を思い出すのではないでしょうか。両親の愛をいっぱいに受けながら、ただ無邪気に過ごしたあの日々。子どもの頃はあんなにも幸せだったのに、大概その幸せに気付くのは、親元を離れて苦労を経験してからというものです。聖書は、わたしたちに真の故郷、魂の故郷が、天国であることを教えてくれています。

人間の本質は魂にある

地球、わたしたちが生まれ育った肉体の故郷です。しかし、聖書を調べてみると、肉体は単に魂の入れ物に過ぎないことがわかります。

列王記上 17章21~22節 彼は子供の上に三度身を重ねてから、また主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。

預言者エリヤが、神様に祈って、世話になっていたやもめの子供を生き返らせていただいた場面です。新共同訳聖書では、「命を元に返してください。」「命を元にお返しになった。 」とありますが、口語訳聖書では、「命」が「魂」と訳されています。

列王記上 17章21~22節 そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。(口語訳)

子供から魂が離れているときは、死んだ状態であり、魂が元に戻されると生き返りました。つまり、わたしたちの命の本質は、魂にあるのです。肉体は、この地で生きている間の魂の入れ物に過ぎません。わたしたちの肉体はこの地球で生まれ、育ちました。地球は、わたしたちの肉体の故郷です。では、魂はどうでしょうか?わたしたちの魂の故郷もこの地球でしょうか?

旅路の人生と天の故郷

信仰の先祖ヤコブは、自分の人生を旅路の年月だと表現しました。

創世記 47章8~9節 ファラオが、「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけると、ヤコブはファラオに答えた。/「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」

年齢を尋ねたファラオに対して、本来であれば「130歳です。」と答えるところを、ヤコブは「わたしの旅路の年月は130年です。」と答えました。生まれてから生きてきたすべての期間を、旅路の年月だと表現したわけです。また、他の先祖たちについても、「先祖たちの年齢には及びません。」という意味で、「わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」と、同様に証ししています。ヤコブの人生も、ヤコブの先祖たちの人生も、この地で生きた人生そのものが、旅路の道のりであったことを証ししているのです。ヘブライ人への手紙にも、同様の記録があります。

ヘブライ人への手紙 11章4~14節 信仰によって、アベルは・・・信仰によって、ノアは・・・信仰によって、アブラハムは・・・この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。

アベル、ノア、アブラハムなどの信仰の先祖たちが、「この地上ではよそ者であり、仮住まいの者であったと公に言い表した」と記されています。ヤコブが自分と自分の先祖たちが、旅人の人生を生きたと証しした内容と一致しています。そうです。わたしたち、人間は皆、この地上では、よそ者、仮住まいの者であり、この人生は旅路なのです。では、この肉体が生まれ育った地球が、旅の中の一時的な仮住まいの地なのであれば、わたしたちの真の故郷、命の本質である魂の故郷はどこなのでしょうか? 続く句節を読んでみましょう。

ヘブライ人への手紙 11章15~16節 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

信仰の先祖たちが熱望していたのは、この地のどこかではなく、天の故郷でした。わたしたちの魂の故郷、真の故郷は、天国なのです。たとえ、今は肉体をまとってこの地で生きているとしても、わたしたちはもともと栄華に満ちた天国で生きていました。

天の父と母がおられる天の故郷

また、故郷というのは、自分を産んでくれた両親のいる場所でもあります。わたしたちの本当の故郷である天国にも、天の父と天の母がおられます。

マタイによる福音書 6章9節 だから、こう祈りなさい。/天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。

イエス様は、神様にお祈りするときに「天におられる父よ」と祈りなさいと教えてくださいました。つまり、神様がわたしたちの魂の父なのです。父がいれば、母もいます。

ガラテヤの信徒への手紙 4章26節 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。

使徒パウロは、「天のエルサレムは、わたしたちの母だ」と証ししました。この地の肉体の母親は、人それぞれ違いますが、天にはわたしたちの魂の母、母なる神様がいらっしゃるのです。

この地球は、わたしたちにとって仮住まいの地に過ぎません。わたしたちが熱望すべき故郷は、天国です。天の故郷では、わたしたちの天の父と母が、子どもたちの帰りを心待ちにしておられます。天国は、悲しみも嘆きも労苦もなく、天の母が、この地で傷つき疲れたわたしたちの目の涙をぬぐってくださるところです(黙21:4)。この地での旅路の道のりばかりに目を向けずに、いまや帰るべき天の故郷を準備しなければならないのではないでしょうか。これからは聖書の御言葉どおりに行って、必ず天の父と母がおられる天の故郷に、天の兄弟姉妹たちと共に帰りましょう。そして、栄華なる天国で、永遠の幸せを享受しましょう。