時代を悟らせる過越祭

2022-10-11
時代を悟らせる過越祭

ヘブライ人への手紙 10:1 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。

旧約時代の歴史は新約時代に登場する福音の影の出来事であり、その歴史を調べることで、神様がなされる御業を知ることができます。

旧約時代にイスラエルの民が、エジプトの奴隷生活から解放され、荒れ野生活40年を経て、神様が約束された地であるカナンに到着するまでの歴史は、

新約時代において、イエス様が新しい契約の過越祭を立てられて、罪悪の世から解放してくださり、信仰の荒れ野生活を経て、神様が約束された地である天国に入るまでの預言です。

本来、過越祭は毎年守るべき神様の祭りです。ところが、旧約の荒れ野40年の中で、イスラエルの民はわずか3回だけ過越祭を守りました。

これは新約時代にも、イエス様の時代から終わりの日までに、過越祭が3回だけ登場するという預言です。

この預言を知ることで、今わたしたちがどんな時代に生きていて、なぜ過越祭が重要なのか悟ることができます。
新旧約それぞれ3回の過越祭の預言と預言成就を調べてみます。

 

初めての過越祭と預言成就

旧約時代、イスラエルの民はエジプトで苦しい奴隷生活を送りながら、神様に救いを求め、祈りをささげていました。
神様は、イスラエルの民のために過越祭を立てられ、守るよう命じられました。

出エジプト記 12:5~13 その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。 それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、 その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。 そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。 肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。 それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。 それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。 その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。 あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。

過越祭を守った民は、エジプトから解放され、荒れ野へと旅立ちました。

この預言は、イエス様が新しい契約の過越祭を立てられ、弟子たちと守ることで成就されました。

ルカによる福音書 22:15,19~20 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

イエス様は過越祭の小羊としてこの地に来られました。

コリントの信徒への手紙一 5:7 キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。

旧約時代、過越祭を守ってエジプトの奴隷生活から解放され、荒れ野へと旅立った歴史は、
新約時代、過越祭の小羊として来られたイエス様が、新しい契約の過越祭を立てられ、それを守る者たちが罪悪のこの世から解放されて、信仰の荒れ野へと進むことで成就されました。

これが、一度目に守った過越祭の預言的な歴史とその成就です。

 

二度目の過越祭とその預言成就

二度目の過越祭は、エジプトを出た翌年に登場します。

民数記 9:1~5 エジプトの国を出た翌年の第一の月、主はシナイの荒れ野でモーセに仰せになった。 イスラエルの人々は定められた時に過越祭を祝わねばならない。 あなたたちは、この月の十四日の夕暮れ、定められた時にそれを祝い、そのすべての掟と法に従って祝いなさい。 モーセはイスラエルの人々に過越祭を祝うように命じた。 彼らは第一の月の十四日の夕暮れに、シナイの荒れ野で過越祭を祝った。イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたとおりに祝った。

旧約時代、エジプトを出た翌年にも過越祭を守り行いました。
この歴史は、イエス様が昇天された後も、弟子たちが過越祭を続けて守ることで成就されました。

コリントの信徒への手紙一 11:23~26 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

消えてしまった過越祭

聖書の記録を見てみると、2年目に過越祭を行った後、カナンに入る直前まで過越祭は登場せず、守られなかったことがわかります。
その歴史を調べてみます。

ヨシュア記 5:2~5 そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。 ヨシュアは、自ら火打ち石の刃物を作り、ギブアト・アラロトでイスラエルの人々に割礼を施した。 ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。すなわちエジプトを出て来たすべての民、戦士である成人男子は皆、エジプトを出た後、途中の荒れ野で死んだ。 出て来た民は皆、割礼を受けていたが、エジプトを出た後、途中の荒れ野で生まれた者は一人も割礼を受けていなかったからである。

神様はカナンに入る直前に、荒れ野で生まれた者たちに割礼を施すよう命じられました。
割礼なしに過越祭を守ることはできません。

出エジプト記 12:48 男子は皆、割礼を受けた後にそれを祝うことが許される。彼はそうすれば、その土地に生まれた者と同様になる。しかし、無割礼の者は、だれもこれを食べることができない。

割礼を受けていないということは、その間、過越祭を守っていなかったということを意味しています。

この、過越祭が守られなかった空白の歴史は、何を表しているのでしょうか。

イエス様が新しい契約の過越祭を立てられ、イエス様昇天後も、弟子たちは世の終わりまで守り続けるべき祭りとして守り続けていました。ところが、325年に開かれたニケア宗教会議により過越祭が完全に廃止され、誰も守ることのできない宗教暗黒時代が訪れてしまったのです。

当時のローマ皇帝の決定により過越祭は法で禁止され、約1600年という長い時間、跡形もなく消え去ってしまいました。

 

天国に入る前に準備すべき過越祭

旧約時代、荒れ野生活を終える直前、神様が約束された場所カナンに入る前に、三度目の過越祭が登場します。

ヨシュア記 5:10~12 イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭を祝った。 過越祭の翌日、その日のうちに彼らは土地の産物を、酵母を入れないパンや炒り麦にして食べた。 彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、イスラエルの人々に、もはやマナはなくなった。彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。

40年の長い荒れ野生活を終える前に、神様が過越祭を守るよう命じられ、その通り守り行ったイスラエルの民たちは、約束の地カナンに入ることができました。

旧約時代のカナンは、新約時代に神様が民を導いてくださる天国を表しています。

イスラエルの民が荒れ野生活の終わりに再び過越祭を守り、カナンに入った歴史は、
終わりの時代に、新しい契約の過越祭が回復され、守る者が天国に入ることができるという預言です。

終わりの時代に登場する過越祭の預言を調べてみます。

イザヤ書 25:6~8 口語訳 万軍の主はこの山で、すべての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しくたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。すなわち髄の多い肥えたものと、よく澄んだ長くたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。 また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物とを破られる。 主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。

これは、神様が「久しくたくわえたぶどう酒」で、永遠に死を滅ぼしてくださる祭りを開かれるという預言です。

ぶどう酒を通して永遠の命をくださる祭りは、新しい契約の過越祭しかありません。

ここで「久しくたくわえたぶどう酒」と記録されているのは、325年に開かれたニケア宗教会議により過越祭が完全に廃止され、長い間誰にも飲まれることなく寝かされてしまっていたからです。

すべての民のために再び祝宴を開いてくださると言われたのは、消えて去った過越祭をもう一度立ててくださるという預言です。

この預言に従って、約1600年間守ることができなかった過越祭を、今日のわたしたちが守ることができるよう、安商洪様が再び立ててくださいました。

旧約時代、三度目の過越祭は、神様が約束された地であるカナンに入る直前に現れました。

今日、消えてしまった過越祭が再び登場した理由は、神様が、天のカナンとして表された天国へとわたしたちを導いてくださるためです。聖書は、わたしたちが今、天国の目前にいることを確かに証ししています。

旧約時代、過越祭を守った者が神様の約束された地、カナンに入ったように、

この終わりの時代を生きるわたしたちも、過越祭を守り行ってこそ、天国に入ることができるのです。

 

→新しい契約の過越祭