永遠の命をくださる方とは?

2024-04-16
永遠の命をくださる方とは

天国に入るために必要な永遠の命は、一体、誰がくださるのでしょうか。神様は、その答えを神様が造られた万物に込められました。命、つまり子の誕生は、父と母がいて初めてなされます。神様は、自然の摂理を通して、天国の摂理を知らせてくださいます。つまり、私たちが受けるべき永遠の命は、天の父と天の母を 通して得られることを教えてくださったのです。

永遠の命を得るものが天国に入る

イエス様は、「天国は、新たな命を受けたものだけが入れるところ」だと教えてくださいました。

ヨハネによる福音書 3章3節 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

永遠の天国に入れる新しい命とは、いつかは尽きる命でなく、永遠に生きられる命です。ですから、イエス様は「永遠の命を得るように」と何度も諭してくださいました。

マタイによる福音書 25章46節 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

ヨハネによる福音書 5章24節 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

イエス様をお遣わしになった神様を信じる者は、永遠の命を得ることができます。では、わたしたちが信じるべき神様は、どんな方なのでしょうか。聖書で証しされた神様を見分けられなければ、神様を正しく信じることはできません。聖書から、真の神様の御姿を探してみましょう。

万物を造られた創造主

万物を造られた方は、神様です。そして、神様はその過程の中ですべての万物に御心を込められました。

ヨハネの黙示録 4章11節「主よ、わたしたちの神よ、 あなたこそ、 栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。 あなたは万物を造られ、 御心によって万物は存在し、 また創造されたからです。」

わたしたち人類は、霊の世界におられる神様の御姿を見ることができません。しかし、万物を見れば、わたしたちには弁解の余地がないほど、神様の御姿を明確にわかるようにされたと記されています。

ローマの信徒への手紙 1章20節 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。

したがって、神様を正しく知ることができる答えは、万物の中にあります。では、 神様は、どのような経路を通して、永遠の命をくださるのでしょうか。

父と母を通して命を受ける

すべての生命体は、同じ経路を通して命を受けます。空を飛ぶたくさんの鳥たち。海を泳ぐ色とりどりの魚たち。野原を駆け回る獣たち。そして、私たち人類も同じです。皆、父と母を通して命を受けます。これは、永遠の命も、父と母を通して受けることができるということを教えているのです。

では、永遠の命をくださる父と母とは、どなたでしょうか。生命体にはすべて寿命があります。犬や猫は約20年ほど生きます。象は60年ほど、亀は100年ほど生き、そしてカゲロウ(蜻蛉)の寿命は羽化後1日ほどです。この寿命は、何によって決まるのでしょうか。それは、親の持っている遺伝子によって決まります。人の寿命は100年ほどと言われていますが、これもやはり、人類がそれほどの命しか持たないためです。

永遠に生きる神様、天の父と天の母

では、わたしたちは、誰から永遠の命を受けることができるでしょうか。当然ながら、永遠に生きる方から命を受けなければなりません。この地に永遠に生きるものは存在しません。永遠に生きる方は神様だけです。

テモテへの手紙一 6章16節  唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。

ですから、私たちに永遠の命をくださる方は神様です。では、神様は、どのような御姿をなさっているのでしょうか。

マタイによる福音書 6章9節 だから、こう祈りなさい。 『天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように。

ガラテヤの信徒への手紙 4章26節 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。

天に、わたしたちの父と母がおられます。天の父と天の母こそ、聖書に証しされた永遠の命をくださる真の神様であられます。今この瞬間にも、天の父と天の母、お二人の神様が、 新しい命・ 永遠の命をくださるため、 私たちを呼んでおられます。

ヨハネの黙示録 22章17節 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

“霊”であられる天の父と花嫁であられる天の母がくださる命の水(永遠の命)を受け取りに来て、新しい命を得ることを願います。