異端教会と正統教会

2024-06-19
異端教会と正統教会

「正統」、創始者の教えを正しく受け継ぐもの。その反対は「異端」。ところが、一般的には、正しさよりも社会的認知度や慣習となっているものが、よりけ入れらやすい傾向にあるようです。キリスト教教会においても、キリストの教えそのものより、規模や伝統などが「正統教会」と「異端教会」を分ける基準とみなされている場合が多いです。しかし、そのような基準で教会を判断してよいのでしょうか。異端は、神様の救いの隊列から外れる、天国に入ることのできない存在であると、聖書にはっきりと記録されています。世の中の杓子定規を通して区分するのでなく、神様の基準を通して、「正統教会」か「異端教会」かを見極めなければなりません。

皆が信じるものが必ずしも正統になるのではない

かつて、かの有名な科学者ガリレオ・ガリレイは、異端審問にかけられました。彼は、地球が太陽の周りを旋回しているという「地動説」を唱えましたが、当時の人々は、太陽が地球の周りを旋回しており、地球はどこかに固定されているという「天動説」を信じていました。もし地球が回っているのなら、人は地上に立っていられず、空に放り出されるはずだと主張し、ガリレオの説を強く否定して、その考えを覆すよう迫りました。当時の人々にとっては、「天動説」こそが正統でした。では、彼らの考えは正しかったでしょうか。今日を生きる私たちは、ガリレオの「地動説」が正しいことを知っています。このように、人々の定説が必ずしも正統であるとは言えないのです。

異端と呼ばれたイエス様

2000年前、イエス様は真理を伝えるため、この地に来られました。

ヨハネによる福音書 14章6節 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

しかし、ユダヤ人たちは、真の神様であられるイエス様を「ナザレ人の分派」と呼び、異端の汚名を着せたのです。

使徒言行録 24章5〜9節 実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。」他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。

イエス様が伝えた教えは、それまでユダヤ人が信じていた教理とは異なるものでした。そのため、彼らはイエス様を排斥し、異端視したのです。しかし、人々が声高に異端と叫んだからといって、真理が異端になることはなく、異端が真理に変わることはありません。ひたすら、イエス様の教えを受け入れ、従うとき、天国への道に進むことができるのです。

異端は、滅びを招く教理

異端は、うそ偽りで作られた教理であり、異端の教えに倣う者は滅びるしかありません。

ペトロの手紙二 2章1〜3節 かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。

何が正統で、何が異端の教理なのかを見極める必要があります。キリスト教を名乗る教会すべてを盲目的に受け入れるのでなく、真理を伝える正統教会を探さなければなりません。神様は、異端と正統を見極めることができるよう、人類に聖書を与えてくださいました。それでは、異端の教えには、どんなものがあるでしょうか。

何が異端の教えなのか

日曜礼拝は異端の教え

イエス様は安息日(土曜日)を礼拝日として守られました。

ルカによる福音書4章16節 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。

そして、安息日こそが、イエス様の日であると教えてくださいました。

マタイによる福音書 12章8節 人の子(イエス様)は安息日の主なのである。」

イエス様が亡くなられた後も、聖徒たちは安息日を守りました。

使徒言行録 17章2〜3節 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。

神様が定められた礼拝日は、安息日(土曜日)です。では、今日多くのキリスト教教会が行っている日曜礼拝は、いつから始まったのでしょうか。歴史を辿ると、西暦321年に当時のローマの皇帝であったコンスタンティヌスが日曜休業令を頒布したことにより、帝国全体で日曜日が礼拝日に定められたことが分かります。

今日、多くの教会で守られている日曜礼拝は、ローマで作られた慣習を踏襲しているにすぎません。日曜日礼拝は、聖書に記されていないうそ偽り、異端の教えです。

過越祭を守り行わないのは異端の教え

イエス様は過越祭の日を切に待たれ、また、その過越祭を尊く守られました。

ルカによる福音書 22章7〜20節 過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。・・・時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。・・・それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

イエス様は、十字架刑の苦しみを受ける前、過越祭を守り行われ、「わたしと同じようにこの祭りを行いなさい」と言われました。その御言葉を無視し、過越祭を守らないことは、異端の教えです。

クリスマスは異端の教え

クリスマスはイエス様の誕生を祝う日として知られていますが、実は、イエス様の誕生日は聖書に記録されていません。むしろ、イエス様の誕生ではなく、死を記念して、過越祭を守りなさいと記されています。

コリントの信徒への手紙一 11章23〜26節 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

クリスマスもまた、聖書にない異端の教えです。

教会に十字架を立てることは異端の教え

神様は偶像崇拝を禁止され、どんなものであっても、神様を象徴するものを造ってはならないと命じられました。

出エジプト記 20章4〜6節 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

神様は、偶像に仕えることを禁じられただけでなく、造ることさえも禁じられました。ですから、教会の象徴として十字架を立てることや、十字架を身につけることは、神様に逆らう異端の教えです。

どこが神様の正しい教えを受け継ぐ正統教会か

社会的認知度や慣習などを基準にしていては、決して異端と真理を見極めることはできません。正統教会は、聖書に記録されている神様の教えを、正しく守り行う教会です。「クリスマスを行わず、十字架を立てず、安息日を守り、過越祭を守る教会」。神様の教えどおり行う教会、つまり、イエス様の教えを正しく受け継いでいる、まことの正統教会は、唯一「神様の教会 世界福音宣教教会」だけです。