神様のものになる~新しい契約の過越祭を守る真の教会~

2024-04-18
神様のものになる-新しい契約の過越祭を守る真の教会

洪水、火山噴火、地震、竜巻、戦争、飢饉、伝染病、事故・・・。数え上げればきりがないですが、わたしたちは日々、このような危険と隣り合わせの人生を歩んでいます。そんな命の危機に瀕したとき、大変厳しい状況に陥って大声で泣いてしまいたいとき、誰よりも強いスーパーマンが飛んできて、どんなことでも解決してくれて、私を守ってくれれば、どれほど嬉しくて心強いでしょうか。

この世の中には、異なる教理を持つたくさんの教会があります。実は、その数多くの教会の中で、全知全能なる神様が御自ら世話をされ、守ってくださる教会は、神様が御自ら建てられたたった一つの真の教会だけです。

あなたはわたしのもの

冒頭で「スーパーマンが守ってくれれば」と書きましたが、もし全知全能なる神様が私たちを守ってくださるのであれば、スーパーマンは全く呼びません。聖書の神様がこの天地万物を創造され、すべてを司っておられるのですから。(参照『聖書は事実である~科学編~』『聖書は事実である~預言成就編~』

イザヤ書 43章1~2節 ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。

神様が「あなたはわたしのもの」と仰り、どのような状況の中でも守ってくださると約束してくださいました。神様は、御自分のものとされた人々といつも共にしてくださり、守ってくださるのです。全知全能なる神様が守ってくださるのですから、これより心強く幸せなことがあるでしょうか。

神様のものになった人々~初代教会~

実は、2000年前、イエス様が建てられた真の教会も、「神様のものとされた人々」によって建てられました。現在この世の中には、異なる教理を持ったたくさんの教会が存在しています。実はすべての教会が真の教会ではなく、神様が建てられた真の教会は、たった一つしかありません。

使徒言行録 20章28節 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。

「世話をさせるために」とあるように、神様がいつも共にしてくださり、守り、世話してくださる真の教会は、「御子の血によって御自分のものとなさった教会」だけです。

過越祭で神様のものになる

では、「御子の血によって御自分のものとなさった」とは、どういうことでしょうか。御子とは、創造主の神様が「神様の子」の役割を担われて、この地に来られたイエス様を指しています。(参照『聖三位一体について』)では、「イエス様の血」とは、何を意味するのでしょうか。

マタイによる福音書 26章26~28節 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

これは、イエス様が弟子たちと共に過越祭を守っておられる場面です。イエス様は、この祭りのぶどう酒を指して、「わたしの血」だと仰いました。イエス様の血は、2000年前イエス様が立ててくださった新しい契約の過越祭という祭りに込められています。

では、「イエス様の血によって(過越祭によって)御自分のものとなさった」とは、どういう意味でしょうか。イエス様は、過越祭のぶどう酒を「罪が赦されるように流されるわたしの血」だと仰いました。初代教会の聖徒たちは、神様であられるイエス様に贖っていただき、罪の赦しを受けたことにより、神様のものになったのです。

ローマの信徒への手紙 6章23節 罪が支払う報酬は死です。

聖書では、わたしたち人類の犯した罪の代価が「死」であると教えています。わたしたち人類が皆、死ななければならないのは、この地に生まれる前、「死」を通じてのみ償うことのできない罪を天で犯したからです。(参照『罪の赦しの真理「過越祭」と救い主』)その赦されるはずのなかった罪を、イエス様が代わりに担ってくださり、わたしたちの代わりに十字架にかかられ、死んでくださいました。

ローマの信徒への手紙 5章8~9節 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

イエス様は、わたしたちの罪の代価を支払うために、死んでくださったのです。わたしたち天の罪人たちは、イエス様の犠牲の血によって贖われました。

エフェソの信徒への手紙 1章7節 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。

「贖う」を辞書で引くと、「1、罪のつぐないをする。2、あるものを代償にして手に入れる。また、買い求める。 」とあります。イエス様の血が込められている新しい契約の過越祭を守ることによって、私たちは神様に贖われて「神様のもの」になるのです。天での罪のために、いつ死刑執行がなされてもおかしくない、あってないような人生であったのに、神様がその代価を代わりに支払ってくださったのですから。

こういうわけで、神様がいつも共にしてくださり、御自ら守り世話してくださる「御子の血によって御自分のものとなさった真の教会」には、必ず新しい契約の過越祭の真理がなくてはなりません。いくら教会の看板を掲げていたとしても、過越祭を守っていない教会は、神様のものにはなり得ず、神様が守ってくださる教会にはなり得ないのです。

神様がどれほど私たちを愛されたゆえ、代わりに死んでくださったのでしょうか。神様のその愛と犠牲を無駄にすることのないように、必ず新しい契約の過越祭を守る真の教会、神様の教会に進み出て、共に過越祭を守りましょう。そうすれば、どうのような状況の中でも、いつも神様が共にしてくださり、あなたを守り導いてくださいます。