神様の国の民の条件~新しい契約~

2024-03-07
神様の国の民の条件-新しい契約

全世界がグローバル化の一途をたどる中、国籍や国境というのものの意味が、以前の時代よりずいぶん薄れてきたように思います。しかし、この体は、それぞれ異なるどこかの国に属していたとしても、私たちの魂は、神様の国に属しているべきです。そうしてこそ、王である神様が、私たちを天国に導いてくださいます。そして、神様の国の民になるための条件が、まさに新しい契約です。

 

神様の国とサタンの国

神様の国では、王である神様が、神様の民を救いの天国へと導いてくださいます。しかし、サタンの国では、王であるサタンが、サタンの民を永遠の地獄へと引きずって行ってしまいます。神様の国とサタンの国。現在あなたは今どちらに属していますか。

ヨハネの黙示録 12章9節 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

聖書では、サタンを「全人類を惑わす者」と記録しています。ただ普通に生活していたのでは、私たち人間はサタンに惑わされてしまうしかないのです。 それで、他の聖句では、サタンを「この世の神」と表現しています。

コリントの信徒への手紙二 4章3~4節 わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。

「この世の神」であるサタンが、人々の目をくらまし、キリストを悟れないようにしているという聖句です。サタンを「この世の神」と表現したのは、サタンが私たちが生きているこの世の中を支配している王だからです。ほとんどの人類が、知らず知らずのうちにサタンの支配下で、サタンの奴隷になっているのです。このままサタンの支配下にいれば、サタンと共に永遠の破滅へと向かっていくしかありません。では、どうすれば、サタンの支配から抜け出して、神様の国に属する神様の民になることができるのでしょうか。

 

神様の法を守る神様の民

物質的な面で考えてみると、国というのは、国境で囲まれた領土です。極端な話、その土地に生まれ、その土地に住んでる人々が、その国の国民と言えるでしょう。しかし、霊的には、神様の民もサタンの民も、同じ場所同じ空間で混じり合って生きています。では、神様の民とサタンの民を区分するものは何でしょうか。

マタイによる福音書 7章21~23節 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

イエス様は、神様の御心を行う者だけが、天の国に入ることができると教えてくださいました。そして、不法を働く者ども、つまり、神様の法を守らない者どもを「離れ去れ」と厳しい口調で断罪なさいました。考えてみれば、国民には国民として守り行うべき義務があり、それを全うしてこそ、享受できる権利もあるというものです。神様の国の王である、神様の御心に逆らう者、神様の国の法を守らない者が、神様の国に入ることができないのは、至極当然と言えるでしょう。

神様の国の民として認めていただくためには、神様の御心、神様の法について知り、守り行う必要があります。

 

神様の法、新しい契約

旧約時代、エホバ神様は、イスラエルの人々を神様の民と定められ、十戒を始めとする旧約の律法をくださいました。旧約時代は、イスラエルの民がこの旧約の律法を守れば、祝福を受け、守らなければ、災いを受けたり、民の中から絶たれたりしました。しかし、エホバ神様は、後の時代には旧約の律法とは異なる、「新しい契約」を結んでくださると約束なさいました。

エレミヤ書 31章31~33節 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

神様が「新しい契約」を結んでくださると仰いました。また、その「新しい契約」を胸の中に、心に記した者たち、つまり「新しい契約」を心に刻んで守る者たちが、神様の民になると仰いました。そして、このエレミヤ預言者の時代から約600年後、神様が御自らこの地までいらっしゃり、この約束を成就してくださいました。

ルカによる福音書 22章15~20節 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。・・・それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

イエス様と弟子たちが過越祭を守る場面です。イエス様は、過越祭を守られながら、新しい契約を立ててくださいました。旧約時代のエホバ神様が、肉体を持ってこの地にいらっしゃった方が、さまにイエス様です(『聖三位一体』について参照)。神様が御自らこの地までいらっしゃり、エレミヤ預言者の時代に約束なさった「新しい契約」を結んでくださったのです。それで使徒パウロも、エレミヤ書の預言を引用して、次のように証ししました。

ヘブライ人への手紙 8章7~10節 もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来る』と、主は言われる。『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。 彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、わたしも彼らを顧みなかった』と、主は言われる。『それらの日の後、わたしが イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

「あの最初の契約」とは、旧約の律法を指しています。つまり、旧約の律法に欠けたところがあったため、「新しい契約」を結んでくださったのだという意味です。エホバ神様が約束され、イエス様が結んでくださった「新しい契約」。神様は、この「新しい契約」を守る者の神様になってくださり、また、この「新しい契約」を守る者が、神様の民になることができるのです。

新しい契約には、新しい契約の過越祭の他に、浸礼(バプテスマ)や新しい契約の安息日などがあります。使徒たちは、イエス様昇天後もイエス様の教え通り、新しい契約の祭りを守り続けました(使徒1:1~3、1コリ11:23~26)。しかし、この神様の法が、サタンの計略によって廃止されてしまいました。イエス様が立ててくださった新しい契約の過越祭が、A.D.325のニカイヤ宗教会議で廃止されてしまい、神様の法ではないクリスマスが導入されました。本来は、第七の日に守るべき安息日礼拝も、日曜日礼拝へとすり替えられてしまいました。神様の法ではないものが、ひっそりと教会内に入り込み、まるで神様の法であるかのようになりすましているのです。

「新しい契約」を守る者が、神様の民です。守るべき「新しい契約」がなくなってしまったということは、つまり、神様の民がいなくなってしまったということを意味します。全人類が、サタンの支配下で苦しみ、罪を重ねながら、永遠の刑罰である地獄に行くしかない状態に陥ってしまったのです。しかし、神様の国の王であられるイエス様は、このような状況を放っておかれはしません。

ヘブライ人への手紙 9章28節 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

イエス様は、人類に救いをもたらすために、もう一度この地にお越しになります。言い換えれば、イエス様が再臨なさらなければ、この地に救いはないということです。誰一人として神様の法である「新しい契約」を正しく守れる者がおらず、全人類がサタンの支配下にいるのですから。

私たち、神様の教会は、2000年前にイエス様が立ててくださった「新しい契約」をそのまま守っています。すでにイエス様が再臨なさって、「新しい契約」を回復してくださったからです。

「新しい契約」を守る者が神様の民です。「新しい契約」を守って、サタンの支配から抜け出し、神様の民になり、天国に導かれる者になりましょう。