神様の民のしるし、安息日

神様の民のしるし、安息日

今日、この世の中には多種多様なキリスト教の教理、宗派が存在しています。では、どの教会に行ってこそ、救いに導かれる神様の民として認めていただけるでしょうか?それは、まさに安息日を守っている教会です。

 

 

信仰だけでは天国に入れない

 

「どのような教理や宗派でも、敬虔に神様を信じる心さえあれば、救いを受けることができるのではないか?」このように考える人も多いようです。しかし、イエス様はそうは仰いませんでした。

 

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 

マタイによる福音書 7:21~23

 

イエス様に向かって「主よ主よ」と言う者は、イエス様を救い主として信じている者ではありませんか。しかし、たとえイエス様を信じていたとしても、「あなたたちのことは全然知らない。離れ去れ。」と言われてしまう者がいるのです。救い主であられるイエス様に、「離れ去れ。」と言われてしまえば、その者の行く先は天国ではなく地獄でしょう。

 

イエス様はこの御言葉の中で、「天の父の御心を行う者だけ」が天国に入ることができると教えてくださり、「離れ去れ。」と叱責なさった者たちを「不法を働く者ども」と表現なさいました。つまり、信仰だけではなく、神様の御心、神様の法を守る者たちが天国に入ることができるという御言葉です。

 

天国に入るために行うべき神様の御心、守るべき神様の法は、いくつかありますが、その中でも安息日について考えてみましょう。

 

 

安息日を守る者が神様の民

 

十戒の四番目の掟であり、聖書を信じ、神様を信じている人であれば、誰もが知ってる安息日。安息日が神様の民にとってどのような日なのか確認してみます。

 

あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。

あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。

 

出エジプト記 31:13

 

安息日は、神様と神様の民との間のしるしです。安息日を守ってこそ、神様を信じる神様の民であると認めていただけるのです。いくら口先だけで、「主よ主よ」と言い、「神様、信じています」と言ったところで、安息日を守っていない者は、神様との間のしるしがないのです。それで、旧約時代には、安息日を守らない者は死刑に処せられました。

 

安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。

 

出エジプト記 31:14

 

旧約時代、安息日を守らない者は、民の中から絶たれてしまいました。旧約の律法は影であり、新約が実体です(ヘブ10:1)。肉体の命はすぐに絶たれなかったとしても、魂は死に行き、永遠の命も救いも受けることはできないことを教えているのです。

 

神様の御心であり、神様の掟である安息日を守って、神様の民としてのしるしを受けなければなりません。神様の民であれば、安息日を他の日と同じように過ごすのではなく、神様に敬虔な礼拝を捧げるべきです。

 

 

安息日は土曜日

 

「どの教会でも、神様に礼拝を捧げているではないか」と思う方もおられるでしょう。しかし、今日多くの教会が礼拝を捧げている日曜日は、安息日ではありません。

 

天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

 

創世記 2:1~3

 

神様が六日で天地万物を創造され、七日目に安息なさいました。安息日は、神様が定められた七日間のサイクルの最終日、第七の日です。ところが、今日ほとんどの教会が礼拝を捧げている日曜日は、週の初めの日です。

 

イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、

 

マルコによる福音書 16:9

 

イエス様は、週の初めの日に復活なさいました。どんな教会であっても、イエス様の復活を記念する復活祭は、毎年日曜日に守ります。イエス様が日曜日に復活なさったからです。英語のTEV聖書で、同じ個所の聖句を見てみます。

 

After Jesus rose from death early on Sunday…

 

Mark 16:9

 

日本語の「週の初めの日」の部分を、TEV聖書では「Sunday」としています。ほとんどの教会が礼拝を捧げている「日曜日」は、週の七日目ではなく、初めの日なのです。日曜日が初めの日であれば、七日目の安息日は「土曜日」です。

 

そして実は、日曜日に礼拝を守っている者たちもこの事実を知っています。それで、日曜日礼拝を「主日礼拝」と呼びながら守っているのです。彼らは「日曜日」が決して「安息日」ではないことを知っているのですから。

 

 

安息日を守らない教会に救いはない

 

安息日は、神様と神様の民との間のしるしであるのに、安息日を守らず、日曜日に礼拝を捧げている教会で信仰生活をしていて、救いに導いていただけるでしょうか。そもそも、彼らはなぜ、このように聖書を通して簡単に確認することができる安息日を守らないのでしょうか。

 

神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」

 

ヨハネによる福音書 8:47

 

わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。

 

1ヨハネの手紙 2:3~4

 

彼らが神様の御言葉に聞き従わないのは、神様に属していないからです。一見、神様を敬虔に信じているように見えても、神様の掟である安息日を守っていないのであれば、その中に救いの真理はなく、所詮は偽り者に過ぎません。

 

神様の教会では、神様の御心どおり、安息日を土曜日に守っています。十戒の四番目の掟であり、神様と神様の民との間のしるしである安息日を守りましょう。そして、まことの神様の民として、共に神様の国である天国に入りましょう。

 

 

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