神様を信じる者とはどんな者たちなのか

2023-08-16
神様を信じる者とはどんな者たちなのか

神様を信じてこそ、天国に行くことができます。しかし、ただ「神様を信じる」だけで良いのでしょうか。実は、神様が命じられたとおりに行ってこそ、正しい信仰として認めていただけます。かつて、神様に信仰を認められた人々がいましたが、彼らも行いを通して祝福を受けました。この時代のわたしたちも、神様が命じられた神様の掟である「新しい契約を守り行う」ことで天国に入ることができます。

神様を信じた人々は命じられたとおりに行った

旧約時代、信仰を認められた人々は皆、神様の御言葉どおり行ないました。

 

ノアの信仰

ノアの時代、神様は世界を洪水で滅ぼすと告げられました。そのとき、神様を信じるノアには、救いの箱舟を造るよう命じられました。

創世記 6章13〜14節 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。

ノアの頃は雨の降らない時代であったため、溢れんばかりの水が襲うことなど、想像だにできませんでした。雨が降りもしない山の頂に箱舟を造るノアの姿は、当時の人々にはとても滑稽に見えたはずです。神様は、3階建て、幅は約130メートルもなる大きな箱舟を造るよう命じられました。木材を集めることは簡単でなく、造船技術もない中で、大きな箱舟を造るのはとんでもないように見えますが、ノアは洪水から救ってくださるという約束を信じ、神様の御命令どおり箱舟を造ります。

創世記 6章22節 ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

神様の指示に従って「箱舟を造る」という、行いが伴う信仰を示すことで、ノアは家族全員が救われる祝福を受けました。

ヘブライ人への手紙 11章7節 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。

 

アブラハムの信仰

アブラハムは神様の祝福を信じて、故郷を離れて見知らぬ土地へと旅立ちました。アブラハムの時代、故郷の集落を離れることは、死を招きかねない危険な行為でしたが、彼は神様の御命令に従って、旅立ち、祝福を受けました。

ヘブライ人への手紙 11章8節 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

 

モーセの信仰

モーセは、エジプトの地の長子がすべて滅ぼされる災いのとき、神様が救いのしるしとて命じられた約束を信じ、過越祭を守り行ないました。

ヘブライ人への手紙 11章28節 信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。

信仰を認められ、祝福を受けた人々は皆、神様が命じられたどおり行ないました。ただ「信じる」だけでなく、その行いが伴わなければなりません。

 

行いがない信仰は、死んだ信仰

どんなに「神様を信じる」と言い表しても、行いがなければ、役に立たない、死んだ信仰であると記録されています。

ヤコブの手紙 2章14〜17節 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

この時代のわたしたちも、神様の御命令どおり行なってこそ、天国に入ることができます。

 

行う信仰を持つ者は神様の掟を守る者

では、新約時代を生きるわたしたちは、何を行えば、神様を信じていると認められるのでしょうか。神様はわたしたちに、何を行うよう命じられたのでしょうか。それはまさに神様の掟です。

ヨハネの黙示録 14章12節 ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。

救われて天国に行く、聖なる者たちは、神様の掟を守り続けます。この掟を守り行なってこそ天国に入れるからです。では、この掟とは、具体的に何でしょうか。まさに、イエス様が立てられた新しい契約です。

ルカによる福音書 22章15〜20節 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。・・・それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である

イエス様は過越祭の席上で、神様の掟である新しい契約を立てられ、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。ですから、この時代を生きるわたしたちは、新しい契約を守り行わなければなりません。そうしてこそ、神様を信じる者として認められ、天国に入ることができます。