神様を愛する方法、過越祭

2023-05-10
神様を愛する方法-過越祭

皆さんは、どんな人たちが救いを受けて、人が見たことも聞いたことも想像することもできないほど素晴らしい世界(一コリ2:9)、天国に入ることができると思われますか?救ってくださった神様の犠牲と愛を悟り、神様にいつも感謝をささげ、また愛してくださる神様に愛をお返しできる人です。

では、どうすれば神様に愛をお返しすることができるのでしょうか?どんなにその人のことを愛していても、相手の思いを考えずに自分勝手な愛し方であれば、ただの独りよがりに過ぎず、その思いも伝わらないように、わたしたちが神様に愛をお返しするときも、必ず神様が喜ばれる方法で愛を表現しなければなりません。神様が最も喜ばれる愛の表現方法は、イエス様が立てられた新しい契約の過越祭を守ることです。なぜなら、新しい契約の過越祭を守ってこそ、神様の深い愛と犠牲が心に刻まれるため、神様を正しく愛することができるようになるからです。ですから、救われて天国に行くためには、必ず新しい契約の過越祭を守らなければなりません。

 

神様の民は、神様の律法が心に記された人たち

まず、どのような人が神様の民だと預言されているのか、調べてみましょう。

エレミヤ書 31:31~33 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、・・・しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

新しい契約を結ぶ日が来ると言われたので、この御言葉は新約時代に成就される預言です。新約時代には、新しい契約の律法を守る人たちが神様の民たちです。ある人たちは、「掟は廃止された」「心で信じれば救われる」と言いますが、聖書では、新しい契約が心に刻まれた者たちであってこそ、神様の救いを受ける民になると確かに証しされています。これは、どんなに口で神様を信じると言っても、新しい契約を守ることなしには、決して神様の民になることはできないという意味です。

 

神様の律法である新しい契約の核心は過越祭

では、旧約時代に預言者エレミヤが預言した、新しい契約とは何でしょうか?

ルカによる福音書 22:15、19~20 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。・・・イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

イエス様は、この過越の食事をすることを切に願っていたと言われ、過越祭の聖餐式で、過越祭のぶどう酒を指して新しい契約であると言われました。なぜ、新しい契約の過越祭を守ることを切に願われたのでしょうか?旧約時代、預言者を通して約束されたあの新しい契約を、この過越祭で結ぼうとなさったからです。

ですから、新しい契約の核心は、新しい契約の過越祭です。イエス様が立てられた新しい契約の過越祭を守ってこそ、預言者エレミヤが預言した神様の真の民になることができます。

 

新しい契約の過越祭を守る民は、キリストの愛が刻まれた民

では、イエス様はなぜ、過越祭を新しい契約の核心とされたのでしょうか?過越祭の中に、私たちの罪を赦すためのキリストの犠牲と愛が込められているからです。聖書では、私たち人類は、天国で罪を犯して追い出された天の罪人だと教えています。その赦されることのできない重罪をキリストが十字架の犠牲で贖ってくださいました。私たちの罪については、『罪の赦しの真理「過越祭」と救い主』を参考にしてください。

イエス様は、過越祭のパンを御自分の肉、過越祭のぶどう酒を御自分の血だと言われながら、過越祭を守られた後、実際に肉を裂かれ多くの血を流して犠牲になられました?。実は、そのすべての苦しみと痛みは、本来、人類一人ひとりが受けるべき罪の対価でありました。地獄に行くべき私たちの罪をキリストが代わりに背負われて、代わりに受けてくださった犠牲によって、私たちの罪が赦されました。そのキリストの犠牲と愛を、御自分の死と引き換えに立ててくださった新しい契約の過越祭に込められ、過越祭を通してキリストの犠牲と愛を覚えるようにされたのです。それで、使徒たちは、新しい契約の過越祭を守るたびに、私たちの身代わりになられたキリストの死を告げ知らせると言いました。

コリントの信徒への手紙一 11:23~26 ・・・すなわち、主イエスは、引き渡される夜(過越祭)、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

これは、過越祭を守って、死の苦痛もいとわれなかったキリストの犠牲と愛を告げ知らせるという意味です。新しい契約の過越祭を守ることで、キリストの犠牲と愛が心に刻まれるので、エレミヤが預言した新しい契約を「心」に記された、つまり神様の愛が心に刻まれた神様の真の民になることができます。

 

神様を愛する方法は、新しい契約の過越祭

新しい契約の過越祭を守ってこそ、神様の愛を深く心に刻むことができます。神様を信じ、愛しているとどんなに言っても、新しい契約を守らなければ、人間の力で神様を正しく愛することはできません。ですから、キリストは掟を守る者が、神様を本当に愛する者だと言われました。

ヨハネによる福音書 14:15~21 あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。・・・わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛するものである。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。

神様の掟を守ることは、神様への霊的な愛の表現方法です。キリストの犠牲の血によって救われると信じていながらも、「掟で救われるのではなく、信仰で救われる」と頑なに否定する人もいますが、神様を本当に愛する信仰者であれば、神様が定められ、守りなさいとおっしゃった掟を大切に守り続けるはずです。謙遜な心で神様の掟を守る人々を神様も愛してくださるでしょう。従順に新しい契約の過越祭を守る人が完全に神様の愛を悟り、正しく神様を愛することができるからです。

ヨハネの黙示録 14:12 ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。

最後に救われる神様の民は、神様の掟(新しい契約の過越祭)を守る者たちです。独りよがりな方法の愛が、本当の愛ではないように、聖書に記録された神様の方法に従って、新しい契約を守ることで、救ってくださる神様への愛を表現し、確かな救いにあずかられますよう願います。