罪の赦しの真理「過越祭」と救い主

罪の赦しの真理「過越祭」と救い主

キリストとは、救い主という意味です。

イエス・キリストはわたしたち人類を救うためにこの地に来られました。

人の子(イエス様)は、失われたものを捜して救うために来たのである。

ルカによる福音書 19章10節

わたしたちは、救い主であるイエス様に依らなければならず、イエス様が立てられた過越祭を守らなければ、天国に入ることができません。

では、なぜ人類はキリストに出会い、救われなければならないのでしょうか。

また、救い主として来られ、過越祭を立てられた神様が、なぜ十字架刑に遭われたのでしょうか。

 

その答えは、

「わたしたちはどこから来たのか」

「なぜこの地にいるのか」

「わたしたちはどこに行くのか」

 

この人類の永遠の謎を紐解くことで見つけることができます。

 

 

わたしたちはどこから来たのか

まず、わたしたちはどのように造られたのか、調べてみましょう。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

創世記 2章7節

 

創造主の神様が、わたしたち人類を造られた場面です。

土の塵で人の形を造られたとありますから、この塵は肉体です。その肉体に命の息を吹き入れられました。これは魂です。

肉体に魂が入って、人として活動するようになりました。

 

では、人が亡くなるとどうなるのでしょうか。

塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。

コヘレトの言葉 12章7節

 

肉体と魂は別々のところに帰ると記録されています。

帰るという表現は、初めて訪れる場所に使うことはできません。元いたところに戻るときに使う言葉です。

わたしたちの肉体は土から造られたので土に戻ります。

そして、魂は神様のもとに帰る、神様がおられる天国に帰るので、わたしたちの魂は天国から来たことがわかります。

 

知恵の王ソロモンの証言を調べてみましょう。

主は、その道の初めにわたしを造られた。 いにしえの御業になお、先立って。 永遠の昔、わたしは祝別されていた。 太初、大地に先立って。 わたしは生み出されていた 深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。 山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが わたしは生み出されていた。 大地も野も、地上の最初の塵も まだ造られていなかった。 …御もとにあって、わたしは巧みな者となり 日々、主を楽しませる者となって 絶えず主の御前で楽を奏し

箴言 ‭8章22〜26、30節

 

ソロモンは大地(地球)もなく、地上の最初の塵(肉体)もなかったときに生み出され、神様のもとにいて、神様を楽しませる者であったと記録しています。

肉体を持たず、魂の状態で神様と天国にいる者を、聖書では天使と呼びます。

ソロモンはこの地上に生まれる前は、神様と共にいた天使だったということを、神様からいただいた知恵を通して証ししました。

この内容は彼一人でなく、わたしたち人類が皆、人として生まれる前には、天国にいた天使だったということを教えているのです。

 

「わたしたちはどこから来たのか」

わたしもあなたも、すべての人は天使であり、神様と共に天国にいて、神様を楽しませる者たちでした。

では、麗しく幸せあふれる天使だったわたしたちは、今なぜこの地にいるのでしょう。

 

なぜこの地にいるのか

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。

ルカによる福音書 19章10節

救い主イエス様は、わたしたち人類を救うために天国からこの地に来られました。そして、人類を天国で失われた者たちだと言われました。

なぜ失われてしまったのか、もう少し調べてみましょう。

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

マタイによる福音書 9章13節

イエス様は天国で失われてしまった罪人を捜し呼び集めに来られました。

では、どれほどの罪を犯したのでしょうか。

罪が支払う報酬は死です。

ローマの信徒への手紙 6章23節

わたしたちは、自らの命を代価としなければならない大きな罪を犯し、その後、魂の死である地獄へと向かう者たちでした。

つまり、天国への道が閉ざされた者となったのです。

 

「なぜこの地にいるのか」

天使だったわたしたちは、天国で、死に価する到底許されない罪を犯したため、肉体の死とその後に迎える魂の刑罰の前に、この地に集められています。

 

わたしたちはどこに行くのか

わたしたちは罪のゆえに天国を追い出され、死ぬ存在となり、地獄に向かう者たちです。

しかし、イエス様はわたしたちを捜して「救う」ため、天国に再び導いてくださるために来られたと言われました。

罪人が救われるためには、犯した罪が赦されなければなりません。

ですが、人類は皆罪人です。ですからわたしたち自身で罪を取り除くことはできません。

そのため、罪なき神様であられるイエス様が、わたしたちの身代わりとなられ、救いの道を開いてくださらなければならないのです。

わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。

エフェソの信徒への手紙 1章7節

 

十字架刑は、本来わたしたちが受けなければならない大きな刑罰でしたが、イエス様がわたしたちの身代わりになられて血を流され、すべての罪を担ってくださいました。

では、わたしたちはどうすれば、救いのため血を流されたイエス様の尊い犠牲にあずかることができるのでしょうか。

それが、過越祭の聖晩餐儀式です。

除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。 …弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。…一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

マタイによる福音書 26章17〜28節

 

過越祭のパンとぶどう酒は十字架刑で傷つき流される、イエス様の肉と血を表しています。

それを食べなさい、飲みなさいと言われ、「罪の赦しを受けられる契約」としてくださいました。

このパンとぶどう酒を食べて飲むことで、十字架刑でわたしたちの身代わりとなられたイエス様の犠牲にあずかる者となり、すべての罪が赦されて、天国への道が開かれるのです。

過越祭は天国に帰るために守らなければならない重要な契約であり、真理です。

救い主イエス様が十字架刑に遭われた理由は、地獄に向かうしかない憐れな罪人であるわたしたちを再び天国に導いてくださるためでした。

救い主の深い愛と犠牲を込めてくださった過越祭を守らずに、天国に帰ることができるでしょうか。

 

「わたしたちはどこに行くのか」

わたしたちは、罪人の罪が赦され、永遠の天国へと帰ることのできる尊い真理、過越祭を守り、天国へ帰らなければなりません。

 

→新しい契約の過越祭