聖三位一体とは

聖三位一体とは

「聖三位一体」という言葉をご存じですか?「イエス様は神様?それとも神様の子?」「聖霊は神様のパワーのこと?」聖三位一体について正しく理解できれば、このような疑問はすっかり晴れることでしょう。

聖三位一体の意味

聖三位一体とは、聖なる三位であられる、聖父、聖子、聖霊が、その根本はお一人の父なる神様であられるということです。 聖父エホバ神様、聖子イエス様、聖霊神様は、名前も姿も異なりますが、同じお一人の父なる神様です。  

ある一人の俳優がいたとしましょう。今、彼はドラマで熱血漢の警察官を演じています。しかし、つい最近までは、心優しい教師の役で映画を撮影していました。そんな彼も家に帰れば、こどもたちにとっては頼れる父親です。役名も容姿も変えていますが、結局は一人の同じ人物です。それと同じように、聖父エホバ神様は旧約時代に、聖子イエス様は2000年前に、聖霊神様はこの終わりの時代に。それぞれ 時代によって、異なる姿、名前で救いの御業を行われましたが、根本は同じお一人の父なる神様です。

聖三位一体の確認

ところで、多くの人々がイエス様を「エホバ神様の息子」だという思い違いをしています。しかし、イエス様がまさに聖父エホバ神様ご本人です。2000年前の弟子たちもそのように認識していましたし、使徒パウロもはっきりと証ししています。

先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

ローマの信徒への手紙9:5

キリスト、イエス様が「万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神様」であられると、はっきりと記録されています。万物とは、文字通り、すべての物という意味ですから、「イエス様より上の存在はない」「イエス様が万物を治めておられるエホバ神様だ」というわけです。

また、クリスチャンなら、誰もが知っているこの聖句を通しても、イエス様とエホバ神様が同じ方だということを確認することができます。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。 
 

イザヤ書9:5

旧約聖書の中の「将来人類のために救い主が赤ちゃん(みどりご)として生まれてくる」という預言です。多くのクリスチャンたちが知っている通り、この預言を成就していらっしゃった方が、まさにイエス様です。ところで、このみどりご(イエス様)を、「力ある神様」「永遠の父」だと表現しています。「力ある永遠の父なる神様」とはエホバ神様のことです。つまり、エホバ神様が、肉体を持ってこの地に生まれてこられた方が、イエス様です。

対になっている聖句をくらべてみても、エホバ神様とイエス様が同じ方だという事実を確認することができます。

あなたの贖い主
あなたを母の胎内に形づくられた方
主はこう言われる。
わたしは主、万物の造り主。
自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。

イザヤ書44:24  

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。

コロサイの信徒への手紙1:16  

イザヤ書には、主なるエホバ神様が「お一人で」天地を創造なさったと記録されていますが、コロサイの信徒への手紙には、御子であるイエス様が万物を創造なさったと記録されています。もし、エホバ神様とイエス様が別々の存在であられるなら、この二つの聖句は矛盾してしまうことになります。聖書が矛盾しているのではありません。聖父エホバ神様と聖子イエス様が、同じ方であられるだけです。

もう一つの対になっている御言葉です。

…全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

ヨハネの黙示録1:8  

 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。…わたし、イエスは。…

ヨハネの黙示録22:13~16

同じ黙示録の中で、13節では「エホバ神様がアルファとオメガ」、16節では「イエス様がアルファとオメガ」とあります。アルファとオメガとは、ギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字で、ここでは初めと終わりという意味を表しています。もしイエス様がエホバ神様の子であれば、エホバ神様はアルファであっても、イエス様は決してアルファにはなり得ないでしょう。この御言葉もまた、エホバ神様とイエス様が同じ方であることを証明しています。

このほかにも聖書の中には、聖父エホバ神様と聖子イエス様が同じ方であるという証拠がたくさんあります。

次に、聖父エホバ神様と聖霊が、同じ方だということを確認してみます。

わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。  人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。 

1コリントの信徒への手紙2:10~11

人の心は、その人本人にしかわからない。同じように、神様のことは神様ご本人にしかわからないという御言葉です。創造主であられ全知全能の神様であられますから、一介の被造物がその御心を知ることができないのは当然でしょう。しかし、聖霊は神様の深みさえも究めると記録されています。 神様のことは神様ご本人しかわからないはずであるのに、聖霊にはわかるというのは、まさに聖霊が聖父エホバ神様ご本人であられるからです。 

最後に、聖子イエス様と聖霊が、同じ方であるということ確認してみます。

わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。  

1ヨハネの手紙2:1  

しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

ヨハネによる福音書14:26   

イエス様も弁護者で、聖霊も弁護者。では、弁護者はお二人おられるのでしょうか。実はこの「弁護者」は、原語聖書ではギリシャ語で「パラクレートス」という単語なのですが、「代弁者」「仲介者」という意味を持っています。しかし、「仲介者(パラクレートス)」は、イエス様おひとりだとも言及されています。

神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。

1テモテへの手紙2:5

この「仲介者」が、上記の「弁護者」と同じ「パラクレートス」です。パラクレートスはイエス様おひとりであるのに、聖霊もパラクレートスだというのは、聖子イエス様と聖霊が同じお一人の方だからです。

聖三位一体を通して ―聖霊神様がおられる―

このように、聖父エホバ神様と、聖子イエス様、聖霊神様は同じ方、お一人の父なる神様です。これが、聖三位一体です。父なる神様がわたしたちの救いのために、 旧約時代には聖父エホバ神様として、2000年前には聖子イエス様として、そしてこの終わりの時代には聖霊神様として、それぞれの役割で働いてくださいました。

ここで、もう一つ考えてみなければならない問題があります。冒頭で記述したとおり、多くのクリスチャンたちでさえ、「聖霊」は神様のパワーやエネルギーだけを指す言葉だと思っています。もちろん、そのような意味合いも持ってはいますが、聖三位一体においての「聖霊」は聖霊神様を指しています。聖父エホバ神様がおられ、聖子イエス様がおられたように、聖霊神様がおられるのです。このお三方は、同じお一人の父なる神様なのですから。

しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

ヨハネによる福音書14:26

聖霊が、「イエス様が弟子たちに教えたことを思い起こさせてくれる」とあります。エネルギーやパワーが人々に何かを教えたり、思い起こさせることができるでしょうか?聖霊神様は人格も持っておられる神様であられます。

そして、この終わりの時代に、聖霊神様が人々に命の水を与えてくださるために、呼びかけておられます。

“霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

ヨハネの黙示録22:17

聖書は、聖霊神様が安商洪様であることを証ししています。エホバ神様にお会いしたいですか?イエス様の御声をお聞きしたいですか?聖三位一体を通して考えてみれば、聖霊安商洪様が、まさに天地万物を創造され、アブラハムやモーセを導かれたエホバ神様であられ、わたしたちの罪のため十字架の犠牲になられたイエス様であられます。

神様の教会は、多くの人々が聖霊神様の元に進み出でて、命の水を受け、救いを受けることを願っています。

・“霊”と花嫁―聖霊神様と共に命の水をくださる母なる神様