見失った羊はもともとどこにいたのか
2023-06-30
羊飼いは、100匹の羊と暮らしていました。しかし、ある日、その中の1匹の羊を見失ってしまい、99匹の羊をその場に残したまま、見失った羊を捜しに行きました。懸命に捜しまわった末に、羊飼いはとうとうその羊を見つけて、連れ帰りました。そして、見つけた喜びを友達や近所の人々と分かち合いました。
この話は、わたしたち人類が、初めから人だったのか、それとも、天使として生まれ、後に人となったのか、という根本的な問題について教えてくれます。わたしたちは、もともとどのような存在だったのか、これから調べていきましょう。
見失った羊のたとえ
ルカによる福音書 15章3〜7節 そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
羊飼いは、100匹の羊と暮らしていました。しかし、その内の1匹がはぐれたため、99匹の羊をその場に残したまま、1匹の羊を捜しに出たのです。このたとえの中の羊飼いは、どなたでしょうか。
ヨハネによる福音書 10章10〜11節 ・・・わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
ここでの「わたし」はイエス様ですが、イエス様が、御自分を羊飼いだと仰いました。また、イエス様は、羊に命を与えるためにこの地に来られたと言われましたが、他の個所では、天から失われた者を救いに来られたとも言われました。
ルカによる福音書 19章10節 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。
天で失われて捜される者となった、見失った羊とは、この地にいるわたしたちのことです。それでは、わたしたちは初めから人だったのでしょうか。それとも天使として生まれて、その後に人となったのでしょうか。
その場に残してきた99匹の羊は、天国にいる天使たちを指しています。見失った羊は、もともと、99匹の羊と一緒に羊飼いの下にいましたが、はぐれてしまい、捜される者となったのです。わたしたちは皆、天使として生まれ、イエス様と一緒に天国にいたのです。
見失った羊は天国を追い出された天使たち
ではなぜ、天使だったわたしたちが、この地で人として生まれ、様々な困難のある生涯を歩むようになったのでしょうか。見失った羊のたとえを見てみると、99匹の羊は正しい人であり、見失った羊は一人の罪人だとあります。
ルカによる福音書 15章7節 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
罪を犯していない大多数の天使たちは、天国にそのまま残っているのですが、罪を犯した天使であるわたしたちは、この地に来ることになったのです。そして、この地で救いを受ければ、再び天国に戻り、天使として生きるようになります。イエス様は、天国の罪人であるわたしたちを招き、救うために来られたのです。
マタイによる福音書 9章13節 …わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
羊は羊飼いに出会ってこそ救われる
旧約聖書にも、神様が御自ら羊を捜し出されると記録されています。
エゼキエル書 34章11〜12節 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
わたしたちは、羊飼いとして来られたイエス様に出会わなければ、決して天国に帰ることはできません。羊飼いに導かれて天の故郷に帰り、99匹の羊と共に、羊飼いと幸せに暮らす羊になりましょう。