イエス様が教えられた警戒すべき偽預言者

2023-04-06
イエス様が教えられた警戒すべき偽預言者

偽預言者とは、神様が遣わされたのではない、偽物の預言者です。救い主であられるイエス様は、偽預言者を警戒しなさいと言われました。しかし、残念なことに多くの人々は偽預言者の正体を悟ることができず、その外見だけを見て彼らに従っています。イエス様を憎んだ当時のファリサイ派や宗教指導者たちのように、見かけは本物のようでも、内側は神様を愛する心がなく、神様の民を正しい救いの道ではなく、むしろ滅びへと導くのが偽預言者です。わたしたちは、彼らを警戒しなければなりません。

 

偽預言者を警戒しなさい

マタイによる福音書 7:13~15 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。

偽預言者はどんな姿で現れるのでしょうか。誰にも分からないように、外見は清らかなふりをしながら、羊の皮をまとっている、つまり神様の民のように装っているとあります。しかし、内側はわたしたちの魂を盗む貪欲な狼だと警告されています。

聖書には、世の終わりには数多くの偽預言者が登場すると記録されています。彼らに従ってしまえば、決して救いにあずかることはできません。それでは、わたしたちはどうすれば彼らを見分けることができるのでしょうか。偽物としての「しるし」は、何でしょうか?

 

偽預言者の「しるし」は、人間の戒め

マタイによる福音書を読んでみると、イエス様が、その当時の宗教指導者たちに対して、厳しい言葉で何度も叱責なさる場面を見ることができます。

マタイによる福音書 15:7~9 偽善者たち(偽預言者たち)よ、イザヤは、あなたたちのことを見事に預言したものだ。/『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。/人間の戒めを教えとして教え、/むなしくわたしをあがめている。』」

慈愛に満ちたイエス様が、神様に仕えているというファリサイ派や宗教指導者たちに対して、なぜ強い怒りを表されたのでしょうか。聖書に精通し、民の中でも先頭に立って神様を信じると言っていた者たちが、実のところは、民を滅びの道へと導いていたからです。正しい教えで天国へと導くべき立場である彼らが教えていたものは、神様の教えではなく、人間の戒めでした。人間が勝手に作り上げた戒めでは決して天国に入ることができないため、滅びへと導く偽善者たちよ!と強く非難なさったのです。

マタイによる福音書 23:13~15、27~28 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。律法学者たちと、ファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分よりも倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている

当時、彼らは神様に仕える者として、民を指導し尊敬される立場にいました。表面的には神様の預言者のようにふるまっていても、神様の掟は捨てて、「人間の戒め」を守る者、不法を行う者であり、滅びへと導く者であると教てくださいました。人間の戒めは、偽預言者である「しるし」なのです。

マタイによる福音書 7:21~23 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。

神様が救いのために下さった戒めを守らずに、人間の戒めを守ることは不法を行うことであり、その者たちは決して天国に入れないと警告なさいました。どんなに熱心な信仰を持っていても、救われないのであれば、その信仰が何の意味を持つでしょうか。それで、イエス様は「むなしく神様をあがめている」者だと言われたのです。

外見では神様の聖なる民を装い、多くの信者を従えても、彼らは羊の皮をかぶった狼であり、わたしたちの魂を殺める存在であることを悟らなければなりません。偽預言者も、また気づかずに彼らに従う者も、同じく裁きの対象になってしまいます。

 

聖書にないものはすべて「人間が作った戒め」

では、偽預言者の特徴である人間の戒めにはどのようなものがあるでしょうか。それは聖書にあるのか、ないのかですぐに判断することができます。

日曜日礼拝、クリスマス、十字架崇拝、サンクスギビング・デー、秋の収穫祭など、一般的に多くの教会で守られているこれらのものは、全て聖書にありません。一言も聖書の中で言及されていないのです。つまり、これらは神様が救いのために命じられた掟ではなく、すべて人間が勝手に作り上げた人間の戒めです。ですから、これらを行う教会はどんなに華やかに見えて、どんなに権威のある教会だとしても、神様が建てられた教会ではなければ、真の預言者がいる救いの教会ではありません。聖書を基に判断すれば、偽預言者が勝手に作り上げた教えであり、偽預言者が作り上げた教会であると言うしかありません。

イエス様初臨当時の宗教指導者やファリサイ派の人々のように、今日、世の中では指導者として認められ、学者として認められていたとしても、人間の戒めを教える偽預言者は必ず神様の裁きを受けることになります。

 

不法を行う偽預言者と惑わされた者の行く末

マタイによる福音書 13:41~42 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

燃え盛る炉の中とは、地獄を意味しています。どんな人たちがそこに入ることになるのでしょうか。不法を行った者たちです。不法とは、聖書にない人間の戒めであり、日曜日礼拝やクリスマスなどが代表例です。それでも、まだ人間の戒めを守り続けますか。

では、偽預言者とは違って、神様の教えを忠実に教え、天国へと導く真の預言者はどこにいるのでしょうか?

 

真の預言者はシオンにいる

エレミヤ書 3:14~15 背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。わたしこそあなたたちの主である。一つの町から一人、一つの氏族から二人ではあるが、わたしはあなたたちを連れてシオンに行こう。わたしはあなたたちに、心にかなう牧者たちを与える。彼らは賢く、巧みに導く。

神様が真の預言者を置かれた所はシオンです。なぜなら、シオンこそ神様が選ばれた住まいであり、神様が御自ら導かれる教会だからです。

詩編 132:13~14 主はシオンを選び/そこに住むことを定められました。/「これは永遠にわたしの憩いの地。/ここに住むことをわたしは定める。

神様がおられるからこそ、シオンには恵みが溢れ、永遠の命があります。天国があります。

詩編 133:1~3 見よ、兄弟が共に座っている。/なんという恵み、なんという喜び。/かぐわしい油が頭に注がれ、/ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り/ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。/シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を

真の預言者に出会うためには、神様がおられるシオンに行かなければなりません。そうしてこそ、信仰の目的である永遠の命を得ることができます。シオンは祭りを守る教会(イザヤ書33章20節)です。人間の戒めではなく、神様の三次の七つの祭りを守る教会は、この地球上で、唯一、神様の教会しかありません。神様の教会は、聖書で預言されているシオンであり、真の預言者が正しい神様の真理を教え、天国へと導く教会です。ぜひ、シオンで神様に出会ってください。そして、共に救いを受けましょう。

 

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