命の水の源である母なる神様
2022-10-07
水は生命体にとってなくてはならない大切なものです。すべての生き物は水なしには生きていけません。人体の70%は水でできており、1〜2%が不足してもひどい喉の渇きを感じ、12%不足すると命を失うと言われています。こうしてみると、水は命そのものと言っても過言ではありません。
では、神様はなぜ、水がなくては命を維持できないように創造されたのでしょうか?この地上の世界は、天の世界の写しと影であるため、この地上の理を通して、私たちの魂の命も、命の水なしには命を維持できないことを教えてくださっているのです。肉体の命に水が不可欠であるように、魂の命にも命の水が絶対的に必要です。
では、この時代には、どなたが命の水を私たちに与えてくださるのでしょうか?
命の水を下さる“霊”と花嫁
次の預言で、すべての聖書の御言葉が締めくくられています。ここに神様の非常に重大なメッセージが込められています。
“霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いてる者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしにに飲むがよい。
ヨハネの黙示録 22:17~19 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、私は証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取る去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
そうです!私たちに命の水を与えてくださる方は、“霊”と花嫁です。他の誰でもありません。“霊”と花嫁が命の水を下さるという御言葉の後に、これらに付け加えても取り除いても救いを受けられないと念を押された神様の御言葉をかんがみると、“霊”と花嫁を通して、命の水を人類に与え、永遠の命を与えるという御業は、神様の強いご意思であることが分かります。ですから、命の水、すなわち、魂の命である永遠の命を得るためには、必ず“霊”と花嫁のもとに行かなければなりません。そうしてこそ、命の水をふんだんに受けることができます。
では、命の水を与え、魂を生かしてくださる“霊”と花嫁とは、いったいどなたでしょうか?
いつの時代も命の水は神様が下さる
聖書は、命の水を与えることができる御力は、いつの時代も、救い主である神様だけにあると教えています。
エレミヤ書 2:13(聖父時代) まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたし(エホバ)を捨てて無用の水溜めを掘った。
ヨハネによる福音書 4:13~14(聖子時代) イエスは答えて言われた。「・・・わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
聖父時代には、聖父なるエホバ神様が命の水の源であり、聖子時代には、聖子なる神様イエス様が命の水の源であられました。神様の御言葉を伝えた預言者は、いつの時代にも数多く存在しましたが、預言者(聖徒)が命の水を与えたという御言葉は、聖書のどこにも記録されていません。聖書の一貫した教えを見ると、聖霊時代、命の水を値なしに配られる“霊”と花嫁は間違いなく、神様です。
終わりの時代には、“霊”であられる聖霊神様(父なる神様)とともに、妻であられる花嫁(母なる神様)がこの地に人の姿で来られ、命の水を全世界に配られるのです。そうしてこそ、霊的干ばつに陥った人類が、救いである永遠の命を受けることができます。
命の水を下さる花嫁は、母なる神様
ある人は、命の水を配られる花嫁が教会(聖徒)だと言いますが、この花嫁は確かに母なる神様です。
ヨハネの黙示録 21:9~10 …七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊(=イエス様=父なる神様)の妻である花嫁を見せてあげよう。」・・・聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下ってくるのを見せた。
“霊”(父なる神様)と共に、命の水を下さる花嫁をヨハネは天のエルサレムだと証ししました。その天のエルサレムについて、使徒パウロは次のように証ししています。
ガラテヤの信徒への手紙 4:26 他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
天のエルサレムは、パウロたち、すなわち救いを受ける聖徒たちの母であるため、魂の母です。ですから、終わりの時代、命の水を下さる花嫁は、間違いなく、母なる神様です。母なる神様は、終わりの時代に、“霊”であられる再臨キリスト、父なる神様と共に、この地に来られ、人類に命の水を与え、私たちの魂を生かしてくださいます。
母なる神様が下さる命の水は魂を生き返らせる
旧約聖書も、終わりの時代に、母なる神様が下さる命の水について預言しています。
ゼカリヤ書 14:8 その日、エルサレムから命の水が湧き出で半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい夏も冬も流れ続ける。
ここで、海は全世界の人類を意味しています(黙示録17章15節)。天のエルサレム母なる神様が、この時代、命の水の源であられる、母なる神様から全世界に向けて、一年中、涸れることなく、命の水が流れ続けます。そして、母なる神様が下さる命の水には、全世界の民の魂を清め、生き返らせる効力があります。
エゼキエル書 47:1~12 彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が(エルサレム)神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。・・・彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行くく。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。・・・しかし、その沢と沼はきれいにならず、塩を取ることができる。川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」
これは霊的なエルサレム神殿についての預言です。なぜなら、現在パレスチナ地域にあるエルサレム神殿から水が湧き出でれば、それこそ災いになってしまいます。つまり、天のエルサレム神殿なる、母なる神様についての預言であり、母なる神様から命の水が湧き出でると、エゼキエル預言者もゼカリヤ預言者と同じく預言しました。
母なる神様が下さる命の水の御言葉によってのみ、死ぬしかない人類の魂は生き返り、命を得ることができます。
ヨハネの黙示録 22: 17 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いてる者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
母なる神様のもとに来てください。そして、命の水を通して、永遠の命を受けてください。母なる神様は、神様の教会におられます。
・魂