唯一である父なる神様と母なる神様

2024-05-16
唯一である父なる神様と母なる神様

キリスト教は、一神教であると定義されている宗教です。実際、多くの教会は、神様は父なる神様お一人しか存在しないと考え、信じています。では、なぜ神様の教会では、父なる神様と母なる神様、お二人を信じているのでしょうか。それは、聖書では、父なる神様と母なる神様のお二人をお一人とも表現しているからです。

唯一である父なる神様

聖書には、神様について「父なる神様が唯一の神様である」と記録されています。

‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭8章6節‬  わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。…

‭‭エフェソの信徒への手紙‬ ‭4章5〜6節‬  主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

父なる神様が唯一の神様であられると書かれているのに、どうして母なる神様が共におられるというのでしょうか。そもそも、神様は本当にお一人なのでしょうか。これについて考えるべき理由は、神様が御自分を指して、「我」ではなく「我々」を用いて話されたからです。

‭‭創世記‬ ‭1章26節‬ ‭ 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

神様は御自身のことを「我々」とおっしゃいました。これは、神様がお一人でない明確な証しです。では、「我々」とおっしゃった神様は、どのような御姿なのでしょうか。続く句節には、その答えが記されています。我々とおっしゃる神様をコピーすると、「男と女」二種類の人が造られました。

‭‭創世記‬ ‭1章27節  神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

神様をコピーしたら、男と女が現れました。それなら、原本であられる神様にも、男の姿の神様(父なる神様)と女の姿の神様(母なる神様)がおられるのではありませんか。このように聖書は、父なる神様だけでなく、母なる神様も存在されることを証ししています。

父なる神様と母なる神様を模した存在、アダムとエバ

では、なぜ父なる神様を唯一の神様であると表現したのでしょうか。この理を理解するには、神様にかたどって造られた、アダムとエバの記録を調べる必要があります。アダムとエバと言えば、蛇に誘惑され、神様が食べることを禁じられた善悪の実を食べてしまう、とても有名な出来事が思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。その場面を聖書で調べてみましょう。

‭‭創世記‬ ‭3節1〜6節 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

この場面で蛇に誘惑されて、罪を犯し、善悪の実を食べたのは、誰でしょうか。エバです。しかし聖書には、アダム一人の罪と記録されています。

‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭5章12〜14節 このようなわけで、一人の人(アダム)によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

アダムの違犯、アダム一人が罪を犯した、と記録されていますが、実際は先に罪を犯したのはエバでした。ですから本来であれば、エバの違犯、もしくは、アダムとエバ二人の罪と書くべきです。ところがなぜ、アダム一人の罪と記録されているのでしょうか。その理由は、アダムとエバをそれぞれ別の存在として二人と表現することもできると同時に、アダムを代表として一人と表現することもできるからです。それゆえ、アダムとエバは、「二人は一体」、二人で一人の存在だと記録されています。

‭‭創世記‬ ‭2章22〜24節‭ そして、人(アダム)から抜き取ったあばら骨で女(エバ)を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、 人は言った。「ついに、これこそ わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

神様をコピーして造られたアダムとエバは、二人であっても一人と表現することができます。同じように、その原本であられる神様も、父なる神様と母なる神様のお二人をお一人と表現することができます。それで、アダムとエバのしたことをアダム一人の行ないと記録したように、父なる神様と母なる神様のお二人がなされたことも父なる神様がなされたと記録されているのです。それゆえ、神様の教会は聖書の証しどおり、唯一であられる、父なる神様と母なる神様を信じています。