天地創造の時から共に働かれるエロヒム神様

2024-01-26
天地創造の時から共に働かれるエロヒム神様

人類は長い間、聖書の神様は父なる神様お一人だと信じてきました。しかし、原語であるヘブライ語で聖書を見てみると、「神様」を意味する単語のほとんどが「エロヒム(神様たち)」という複数形の単語で表現されています。

これは、聖書を読解する者にとって長年の謎でした。時が至り、「神様たち(Elohim)」に秘められた真意が、父なる神様と母なる神様であることが明らかにされました。父なる神様と母なる神様であられるエロヒム神様は、天地創造の時から、世の終わりまで共におられ、共に働かれます。

 

聖霊にあずかる条件は神様を悟ること

多くの教会が「聖霊を受けた」と主張しています。しかし、聖書では、神様を悟ることが春の雨の聖霊にあずかる条件だと記されています。

ホセア書 6章1~3節 ・・・我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる。

ゆえに、聖霊にあずかるためには、神様を深く知る必要があります。

 

創造主なる「エロヒム神様(神様たち)」は父なる神様と母なる神様

人類が心を尽くして知らなければならない神様は、男性の姿の神様と女性の姿の神様のお二人の神様です。

今まで、人類は天地万物を創造なさった創造主なる「神様」が、お一人であると信じてきました。しかし、天地万物と人を創造された神様は、「我々」と自称された複数の神様です。

創世記 1章26~27節 神(Elohim)は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

ここで、神様は御自分を指して、確かに「我々」とおっしゃいました。では、「我々」と言われた「エロヒム」神様は、どのような御姿をなさっているでしょうか?創造主なる神様の姿をモデルとして人を創造なさった結果、男と女が創造されました。これは、男性の姿と女性の姿の神様が存在されるという意味です。

多くの人が知っているように、男性の姿の神様は父なる神様です。では、女性の姿の神様はどなたでしょうか?当然、母なる神様でしょう。ある人々は、「ここでの『我々』には、天地創造の時にそばにいた天使たちも含まれている」と主張します。しかし、被造物である天使の姿に似せて、人を創造したのではありません。創造主なる神様の御姿に似せて人を創造しました。

男と女が創造されたのは、父なる神様と母なる神様をモデルに人を創造されたからです。世の初めに天地万物を創造された時、父なる神様だけでなく、母なる神様もご一緒にその創造の御業を成されたのです。

 

エロヒム神様が計画なさった人類の歴史

その後も、「我々」とおっしゃったエロヒム神様、父なる神様と母なる神様は、共に救いの御業を繰り広げていかれました。

創世記 11章1~9節 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は・・・「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全知に散らされることのないようにしよう」と言った。主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた・・・我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。

創世記1章で神様は「我々が人を造ろう」と言われ、男と女を創造されたその神様が、11章でもやはり「我々」と言われ、共に働かれたのです。

イザヤ書 6章7-10節 ・・・わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」・・・

イザヤ書でも、神様が「誰が我に代わって行くだろうか」とは言われず、「誰が我々に代わって行くだろうか」とおっしゃいました。ここでも、やはり父なる神様と母なる神様が共に働かれ、救いの御業と福音を導かれたことを確実に悟ることができます。

『我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう』と仰せられたエロヒム神様は、父なる神様と母なる神様でした。お二人の神様が、万物を創造する時も、バベルの塔を積み上げる人間の高慢な行為を滅ぼす時も、預言者イザヤを送る時も共に働かれたのです。

しかし、世のほとんど人々は、母なる神様の存在を知りません。その理由は、今まで6000年間隠されてきた秘密だからです。だからと言って、今になって突然母なる神様が登場したのではなく、天地創造の時から既に存在し、父なる神様と共におられました。ただ、その存在が人類に知らされていなかっただけなのです。聖書は、父なる神様と母なる神様が、天地創造の時から常に共に働いていらっしゃったことを証ししています。

 

創造の終わりの時に“霊”と花嫁として現れるエロヒム神様

では、霊として存在されたエロヒム神様はいつこの地に登場なさるのでしょうか?創造の御業の始めから存在され、共に働かれたように、創造の終わりの御業もエロヒム神様がご一緒に成し遂げていかれることになっています。

テモテへの手紙一 6章15~16節 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。

定められた時、すなわち神様が定められた時が至れば、神様がキリストとして私たちに現れてくださいます。これは、人の目で見ることができる姿、つまり人の姿で来られるという意味です。この地に男性の姿と、女性の姿で登場なさるのです。そうしてこそ、神様の救いの計画がすべて完成されます。

ヨハネの黙示録 22章17節 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

“霊”つまり聖霊神様は、父なる神様です(WATV Media Cast『聖三位一体』参照)。父なる神様の花嫁であられる母なる神様が、わたしたちに命を授けてくださるために、父なる神様と共に6000年の救いの御業の終わりの時に顕現されます。時が来れば神様がその姿を見せられると仰せられた預言の御言葉が成就しました。命の水を下さることができる方は、永遠の命を持っておられる神様だけです。命の水を下さる“霊”と花嫁は間違いなく神様です。エロヒム神様、父なる神様と母なる神様は、創造の御業の始まりから、最後の時まで共に働かれます 。

永遠の命を賜る、命の創造主、エロヒム神様のもとで、永遠の命を受けてください。