小羊の花嫁はマリアではない

2024-05-16
小羊の花嫁はマリアではない

私たちの魂に不可欠な命の水。聖書では、この命の水は“霊”と花嫁がくださると預言されています。命の水は、救い主であられる神様だけが与えることができます。しかし、ある人々は、命の水をくださる花嫁は、イエス様を産んだマリアだと考えています。果たして、聖書でもそのように教えているのでしょうか?聖書を通して、その答えを探してみましょう。

ヨハネの黙示録の「花嫁」は、小羊の妻

まず、“霊”と花嫁が命の水をくださる場面を見てみます。

ヨハネの黙示録 22章17節 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

ここで、“霊”と共に登場なさって、共に命の水を施しておられる花嫁とは、どなたでしょうか?

ヨハネの黙示録 21章9~10節 さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。

天使がヨハネに「小羊の妻である花嫁を見せてあげよう」と言っています。ご存知のように、小羊はイエス様です(ヨハ1:29)。ですから、22章で命の水をくださる花嫁は、イエス様の妻であるのが分かります。もし22章の花嫁がマリアであるという主張が正しいなら、イエス様の妻がマリアだということでしょうか?イエス様の妻がマリアだという教えが聖書にありますか?聖書を最初から最後まで読んでみても、イエス様の妻がマリアだという教えはありません。常識的に考えてみても、理屈に合う話ではありません。マリアはイエス様を産んだ肉の母ではありませんか。ですから、ヨハネの黙示録で、“霊”と共に登場なさり、命の水をくださる花嫁は、決してマリアではありません。

ヨハネの黙示録に登場される花嫁は、命の水を下さる救い主

では、22章の花嫁はどなたでしょうか?

ヨハネの黙示録 22章17節 “霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

“霊”と花嫁が、魂が渇ききった人類に命の水、永遠の命を与えておられます。では、魂を生かす命の水を与えることができる方はどなたでしょうか?唯一、救い主であられる神様だけです(エレ2:13、ヨハ4:14)。永遠の命を持っていない人類が、命の水を与えることはできません。人類は、救い主であられる神様から命の水を受けなければならない存在です。ですから、小羊であられる再臨イエス様と共に命の水で魂を生かされる花嫁は、間違いなく救い主であられる神様です。

マリアは被造物の一人

では、マリアは救い主でしょうか?それとも、罪人の一人でしょうか?マリアは神様に救いを求めた罪人に過ぎません。

ルカによる福音書 1章46~48節 そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。・・・

マリアは、肉的にはイエス様を産んだ母だとしても、霊的に見れば私たちと同じ罪人であり、救い主から命の水を受けなければならない聖徒の中の一人です。従って、マリアは命の水をくださる小羊の花嫁にはなり得ないのです。

“霊”であられる再臨キリストと共に命の水をくださる花嫁は、人類に命を与えてくださる母なる神様です。