聖書の神様は何人?

2024-06-19
聖書の神様は何人

『神様』と言えば、どのような御姿を思い浮かべますか?髭の生えたおじいさんのような姿を思い浮かべる人もいるでしょうし、男性のようであり女性のようでもある中性的な姿の神様を思い浮かべる人もいるかもしれません。キリスト教の長い歴史の中では、神様はと言えば、それは『父なる神様』を指していました。神様は私たち人類の創造主、魂の父であられるからです。しかし、聖書を研究してみれば、聖書の神様は、父なる神様と母なる神様のお二方であられるのが分かります。

『我々』と言われた創造主なる神様

そもそも聖書とは、この天地万物、森羅万象を創造なさった創造主なる神様を証しする書物です。キリスト教とは、創造主なる神様を信じる宗教なのです。

創世記 1章1~3節 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

ところで、この創造主なる神様が御自分を指して、『我々』とおっしゃいました。

創世記 1章26節 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

神様が御自分を指して『我々』とおっしゃったということは、神様はお一人ではないということではありませんか。では、神様は何人いらっしゃるのでしょうか?

神様にかたどって造られた人類

キリスト教の長い歴史の中で、神様と言えば、それは『父なる神様お一人』でした。そのような固定観念を持っている人は、創世記1章26節の『我々』は、聖三位一体を指しているのだと思うかもしれません。聖父エホバ神様、聖子イエス・キリスト、聖霊神様のお三方を指した御言葉だとです。しかし、そのように解釈してしまうと、次に続く聖句で矛盾が生じてしまいます。

創世記 1章26~27節 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

御自分を『我々』と表現なさった神様が、御自分にかたどって、人を創造なさいました。そうしてできたのが、男と女(アダムとエバ)でした。「かたどって」とあるので、神様の御姿そのままの形に造ったということではありませんか。もし『我々』が、聖三位一体の神様であれば、聖三位一体の神様の御姿にかたどって、聖父神様に似ている人、聖子イエス様に似ている人、聖霊神様に似ている人、三人の男ができなければならなかったでしょう。しかし、できたのは男と女の二人でした。実は聖三位一体の神様は、複数形では表現できません。聖三位一体とは、「お一人の父なる神様が、時代によって、聖父の役割、聖子の役割、聖霊の役割で働かれる」という意味だからです。結局、聖三位一体の神様は、お一人の父なる神様です。

父なる神様と母なる神様

『我々』が聖三位一体の神様でないとしたら、神様は何人いらしゃって、どのような御姿をなさっているのでしょうか?その答えもやはり先ほどの句節にあります。

創世記 1章27節 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

『我々』とおっしゃった神様の御姿にかたどって、人を創造なさると「男と女」の二人に創造されました。これは、神様に「男性の御姿の神様」と「女性の御姿の神様」のお二方がいらっしゃるということを表しています。キリスト教では、この男性の御姿の神様を「父なる神様」と呼んで、信じてきました。この父なる神様が、人類を救うために、人の姿になってこの地にいらっしゃいました。それが、まさにイエス・キリストです。

ローマの信徒への手紙 5章14~15節 ・・・実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。

実は、創世記で創造された男アダムは、来るべき方、つまり、私たち人類を救うためにこの地にいらっしゃることが決まっていた方、イエス・キリストを表す人物だったのです。イエス様は、父なる神様が人となって、この地にいらっしゃった方です。つまり、父なる神様をかたどって創造されたアダムは、父なる神様を表す人物だったというわけです。ところで、創造の御業のとき、アダムの他にもう一人の人、女であるエバも創造されました。では、エバはどなたの御姿にかたどって創造されたのでしょうか。まず、エバが女性であることからして、神様には女性の御姿の神様がいらっしゃるというのが分かるでしょう。

創世記 3章20節 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

父なる神様を表す人物であるアダムが、妻である女に「エバ(命)」という名前をつけました。エバがすべての命の根源になったからです。エバは、父なる神様の妻である女性の御姿の神様をかたどって創造されました。アダムが父なる神様を表しているように、エバもまた女性の御姿の神様を表す人物なのです。エバがすべての肉の命の根源、母であるというのは、つまりは、エバのモデルである女性の御姿の神様こそが、命の根本であられ、私たちの魂の母であられるということを表しています。

神様が、御自分を指して『我々』とおっしゃったのは、父なる神様と母なる神様のお二方いらっしゃったからです。それで、神様の御姿にかたどって人を創造なさると、男と女の二人ができたのでした。聖書は、創造主なる母なる神様の存在を証ししています。父なる神様だけでなく、すべての命あるものの母であられる母なる神様も信じてこそ、永遠の命を得て、救いを受けることができます。